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一番痺れた通訳

仕事

トルコ語の通訳・翻訳をしています。別になろうと思ったわけではないんだけど、気づいたら人生こういう流れになりました。通訳や翻訳の仕事がすごい好きかと言えば、できちゃったからやってるって感じです。

基本、話すことは好きなので苦痛ではないけど、自分の言葉を喋れるわけではないので、ものすごい充実感があるわけでもなく、語られる内容もそう滅多に心が痺れるようなことはそうないので普段は割と淡々とこなす。

痺れる

じゃあ、心がビリビリ痺れたことはないのかっていうと、たまにはあります。稀に。これまで一番ビリビリ痺れたのは、やっぱり… トルコ現地で行った通訳!

2020年と2021年、コロナ禍真っ只中に、作曲家で映像作家の映画監督が、初作品であるクルド音楽にまつわるドキュメンタリー映画を撮るということで、取材に同行した時の通訳です。コーディネートと字幕の翻訳も行いました。

東京ドキュメンタリー映画祭2021で、短編部門のグランプリ、大阪会場の観客賞を受賞した「地図になき、故郷からの声」(中島夏樹監督)という作品です。

クルド語

デングベジュという吟遊詩人、語り部の存在は知らないわけではなかったけれど、全く守備範囲外。音楽一筋で生きてきた監督から見た世界を横で一緒に体験させてもらいました。言葉のプロであるデングベジュたちの言葉はそりゃあビシバシと痺れるものが連発されるし!

でも。

私が知っているのはトルコ語で、デングベジュはクルド語で歌い、語る。なぜならそれが彼/彼女たちの母語だから。トルコ語とクルド語は全く言語系統の違う言葉で、私はほぼ一言もわからない。

禁じられてきた言語であるだけに、クルド語で歌い、語ってもらうことは重要性を増す。トルコ語でばかり語ってもらうのでは面白みがないし、母語を死守してきたデングベジュだからこそクルド語で語ってもらいたい。そもそも、歌に関しては全部クルド語。現地で出会った人たちにクルド語・トルコ語通訳や翻訳をしてもらった。

音はそもそも振動

言葉の意味がわからないと、意味で判断することはできないので、全身を耳にして聴くことになる。もちろん、実務的な通訳でそんなことをしていたら、話にならないので普段はできない。

「聞く」ことも「語る」ことも、別次元で体験できた、貴重な体験だった。自分の肌が音をキャッチしていることを感じ、そのことにも感動し、束の間、意味の世界から解放された感覚(取材中はずーっと神経を張り巡らせているから)。

なんだ、言葉の意味がわからないって最高じゃないかっ!よりによって!私たちは普段から、どれだけ意味の世界に閉じ込められていることやら。特に、自分ww 気づいたところで、またすぐ、意味の世界にどっぷり浸かってしまうのだけどね。ま、致し方なし。

嗚呼 痺れる仕事がしたいなぁ!

なんでこんなことを思ったかというと、真逆のことが今日あったからでwww そもそも、先方が打ち合わせ場所にたどり着けなかった、という。夜の東京で迷子かい。

住所の確認ぐらいしておいてよー。「着きました!」「あ、ここに××ケバブの店がある」え、そこって、ここからだいぶ離れた場所だけど… 着いてないね、着いてない。しかも間に合わないね。ハイ、また来週ー!

ちゃんちゃん!


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