バズりの螺旋から降りる
先日の記事で、しゃにむにバズらなくてもいいんじゃないかな、と書いてから、論を同じくする人の記事がやたらと目に入るようになりました。
「バズる」自体があいまいな日本語ですが、インターネットで自分が出したコンテンツが何万人という人々に見られ、反応されること、とでもいえるでしょうか。反応が否定的であればそれは「炎上」などと言われます。
電脳世界でわっと広がっているだけのことが、どうしてこれほど重要なことのように扱われているのか。それはもちろん、大勢の人に知られることそのものが、