アナキストとして「自国」をどう処すか。「隣の国」思考法

私の知人が編み出したアナキズム的思考法に「隣の国と思えば良い」というものがございます。
アナキストには自国を自らのものとして捉えづらいという宿命があると思いますが自国を「隣の国」と考えることで相互扶助の一部として納得し機能するという言わばパラドックス克服法です。便宜上日本国籍を有するワタクシであれば日本のことを「隣の国」と考えて社会に対処するというものです。

災害時などに「日本人同士助け合おう」みたいな変な同調意識が身に迫って来ることがありますよね?
もちろんネイバーフッドの意識で互助の気持ちがないわけではありませんが、でもそこに「日本人だから」というというアナキストから見れば全く無意味としか感じられない理由づけをされると素直になれないところがあります。
だからといってニヒリズム方向に振れて孤高の虚無感に逃げてしまうのも社会人としてどうなのかという疑念があります。

もちろんアナキストはアナキズムというアンチ・ネーションな概念の中に立っているわけですから、その立脚点から見て(例えば)この日本を「隣の国」と意識して感じるようにしようというのはアナーキーの文脈の中でネーションを捉えるやり方としてアリなのではないでしょうか。

(例えば)日本が困難に陥っていたとしたら「隣の国の人が困っているんだから協力しよう」という意識で矛盾なく前向きな気持ちで日本社会への貢献もできようものではないでしょうか。

なんとなく災害時を例に出しましたが、この「隣の国論法」はネーションと関わる必要が生じた際に随所で応用が可能ですのでぜひご活用ください。
皆さんの「隣の国意識」の活用例も教えてくださいね。

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