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何ができるか。

音楽の人・西村くんへ、写真絵本の人・小寺より。

前のnote投稿で西村くんが投げかけてくれた「何ができるんだろう」という問い。考えてみました。いつものとおり長くなりますが、書きます。

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それはまず「知ること」だろうか?
 
でも、知る方法や機会の数、知るべきことの量、知っておくべきことの精度や確度や深度、その“ベクトル”の向きや強さなど、「知る」ということ一つとっても、いまこの時代、余りにもたくさんの〈可能性〉が自分の前に広がっているように感じられてしまって、恥を忍んで告白すると、正直なところぼくは途方に暮れてしまうんです。
 
そして、「知る」という言葉をそのまま「行動する」に置き換えてみて、さらに余計に途方にくれ、呆然と立ち尽くしてしまう自分がいます。
 
たぶんそれは、ぼくの中にいつのまにやら出来上がっていた自分なりの価値観や道徳観が、「知っていながらただ途方に暮れるばかりで行動しないことは〈良くないこと〉である」というある種の〈正しさ〉を“識った気になってしまっている”からでもあるのだろうな、と思います。
 
ほんの20年前には想像できなかったくらいに、余りに複雑でたくさんのものごとが自分を取り囲んでいる。そしてそれになんらかの形で関わることができてしまう。いま自分はすごい時代に生きているのだな、と感じます。同様の思いは、2011年3月にも切実に感じました。
 
ただ、まさにこのように評論家然として言葉をもてあそびながら、たとえばすでに誰かが提示した情報をSNSでシェアしては「困ったことだ、まったくひどい世の中だ…」と一般論をぼやいてお茶を濁すことは、もういい加減にしないといけませんよね……。

西村くんの中から響き出てきた「何ができるんだろう」ということばは、重いことばです。翻ってぼくは、それを前にしていま、自戒、自戒、自戒ばかりです……。でもがんばって自分のことばにしなければね。
 
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《無知と偏見と差別、格差の社会構造と権力、こういう事がコロナ禍で日本でも進んでいくのかもしれない。僕らはそれに対して何ができるんだろう。》
 
ほんと、考えてしまいますね……
 
その「何が」について、あれこれ具体的にイメージしようと試みるのだけど、そのあまりにごちゃごちゃした思い巡らせを逐一丁寧に言葉に変換するのはいま自分の手に負える作業ではないな……と感じます。
 
ただ、幾つかのキーワードは書き出せるような気がしてきました。やってみます。「大きなところ」から「小さなところ」まで、また、人にとって「外なること」や「内なること」、問題に対して直接的なことや間接的なこと、いろいろ雑多にありますけど。
 
まず個人としてぼくができそうなことで思いつくこと。
 
■もし問題で苦しんでいる当事者が知人や友人なら、声をかけ、連帯する

■すでに起こっているムーブメントに参画する(デモや署名など)

■問題に真摯に取り組むメディアを評価し応援する/問題についてミスリードを図ろうとしていると感じられるメディアに対して批判と問いかけをする

■あらゆる公的な選挙で、しっかり考えて投票行動する
 
––––でしょうか。
 
また、ぼくが属する社会としてこういう風になればいいなということを、いま思いつくまま。
 
■「マネーをたくさん自分の方に囲い込んだら勝ち。勝ったやつがエラい。」というチンケで安っぽい時代錯誤な古臭いマッチョ資本主義を徹底的に批判し、可能な部分から改良する

■公的な意思決定の場が男性ジェンダーで占拠されているバランスの悪い現状を可能な部分から早急に改めてゆく
 
あと、かなり迂遠だけれども、
 
■歴史と自然科学と芸術に深く真摯に向き合う教育に、大人たちが総力をかけ、最優先かつ真剣に取り組む

■大人もこどもも、自然、特に草・木・微生物に正面から向き合う(精神と肉体の両面で)

■大人が、もっとことばを大切にする
 
でも、究極的なぼく個人の思いとしては、上記全ては次の一言に集約されるような気もしています。
 
■自分自身の一日一日を、自分自身として大切に生きる
 
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なんだか結局はこんなふわふわとした抽象的な主観論に落ち着かせてしまう自分が情けなくもあるのだけれど……。もっと具体的にいまできることが、本当はたくさんあるのだろうな。
 
こんな抽象論は、いま現に痛い思いをしている人、困窮している人、怒り悲しみにうち震えている人、そして息を止められそうな人を、直接助けたり直接励ますことはできないね……
 
ただ、そんな力なく頼りない抽象的な主観論ではあっても、それでもやっぱり、まずは「自分の日々」にこそしっかり深く「根」を下ろしていかなくちゃ、と思うんです。

自分の、自分なりの「根、root」をもつこと、それを生きた(息の通った)状態に保つことが、いま文字どおり根源的に大事なことなのだと思います。

Let him & myself breathe.

じつは、今日は一日中、庭の草むしりをしていたのですが、草たちのしなやかな生命力を手に感じつつ、彼らを無下に腕力でむしり取るニンゲンの身勝手さを〈我がこと〉としてリアルに感じながら、あらためてそう確信しました。
 
またも長い返事になって、ごめん。

(あなぽこ社写真絵本の人・小寺卓矢)

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