顔の見える関係(ダンパー数)を超えて、新しい社会をデザインする

人類が約1万年前に大規模な農耕を始め、食料の余剰が生まれ、農業生産に直接関係しない人的余裕が生まれ、格差、ヒエラルキーが生みだされた。余った食料や種の交換や貸し借りのために貨幣や文字が生まれ、利息も生まれ、さらに格差が広がり、階級社会になっていく。直接生産しない王侯、貴族階級が生まれ、格差、階級を正当化するために司祭階級が生まれ、格差、階級を維持するために、官僚組織や軍事組織が生まれた。

狩猟採集社会が農耕社会に移行する中で、人類の生得の利他的な人間性が損なわれ、利己的な性質が現れてきたという非常に興味深い指摘を、もったいない学会の吉田太郎氏が、クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす』(河出書房新社 2020)を引用しながらブログの中でしている。
「狩猟採集社会の作法①~お金の代償~豊かなれ贈与社会  顔が見えないことが超格差社会を生む」
http://agroecology.seesaa.net/article/480715827.html

農耕社会から、商業、産業、金融などの発展とともに、新たに商人、産業家、資本家、金融家が、かつての王侯、貴族に替わって、次々とヒエラルキー社会の支配階級となっていき、いまや情報革命によってデータとAIを操る新たな支配階級が生まれそうな勢いであるが、社会の構造自体は、狩猟採集社会から農耕社会へと移行して以来、同じとも言える。つまりこの移行が人類の文明にとって現在に至るまで、本来、利他的な人間の本性に悪影響を与え続けてきたと言えるだろう。

さて狩猟採集社会から農耕社会へという決定的な移行の際に、富の余剰が生まれると同時に、あるいはその前に、狩猟最終民社会の150人ほどの顔の見える関係(ダンパー数)から大規模な集団行動を行える抽象的な人間関係を構築する必要があっただろう。ノヴァル・ユハリいうところのフィクションを利用することで、直接的関係のない人同士が協力する必要があった。

「互いをよく知る数十人規模での集団では何もかも筒抜けになる。ごまかしは効かない。だから、狩猟採集社会では大型の動物が仕留められると誰もが平等にわかちあう。けれども、誰もが直接的な関係を取り結べる規模を超えてコミュニティが成長すると興味深いが、悲惨な事態が起こる。人は「抽象概念」となるのだ。人々が村や町に定住して最初に生まれたのが権力や富の格差だった。播種や収穫、家畜の売買を誰かが仕切らなければならない。いったん富が生まれると、上流階級はその特権を生かしてさらに利権を得ようとしてゆく。(クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす』p181)」

フィクションを利用したことで、余剰を生み出す生産力を手にすると同時に、「人は『抽象概念』」となり、その副作用として、人は生まれついて持っていた利他的人間性の上に、利己的性質が上書きがされてしまったのではないだろうか。

自己利益のために互いに競争し、少数の勝者と多数の敗者を生み出しているいまの社会の中で、勝者も含めてすべての人は、心の奥底で、利他的な本来の自分を生きることができない苦しみを感じているのではないだろうか。

その根本原因は、余剰生産物が生まれてことではなく、大規模に人と人が協働して働くために利用されたフィクションが意図せずに生み出してしまった負の機能ではないだろうか。

その負の機能のメカニズムを明らかにする伝統的な方法として、瞑想がある。
社会的なフィクション、思考が人の心に及ぼす悪影響を自覚し、その悪影響の力から自らの心が解放されていくのを静かにっ見守っていくプロセスとも言えるだろう。

祈りは、フィクションの負の機能にいわば汚染された自分の心を、大いなるものに差し出し、捧げることで悪影響から解放されていくのを待つプロセスとも言えるだろう。

鈴鹿のコミュニティ、アズワンが開発したサイエンズメソッドは、フィクション(サイエンスでは、それを「人間の考え」と呼ぶ)の負の機能のメカニズムを、一定の「問い」をグループで自由に探究することで、気づいていく、知っていくプロセスと言えるだろう。

ぼくが、サイエンズメソッドを高く評価する理由の一つ目が、ぼくが長い間、瞑想と祈りのプロセスを進んできたにもかかわらず、なかなかフィクションの負の機能から自由になれずもがいてきていた部分を、サイエンズメソッドを学ぶサイエンズスクールのコースに参加することで、かなり容易にクリアーできたことだ。
二つ目の理由は、フィクションの負の機能を理解し、知ることで、いまの社会がいまの社会であることのメカニズムも理解し、知ることができるからだ。


比喩的に言えば、アズワンというコミュニティは、農耕文明、そしてその継承者である産業文明、資本主義文明の中で、フィクションの持つ負の機能が本来利他的な人を利己的な人間にしてしまうメカニズムを、サイエンズメソッドという方法でいわばリーバースエンジニアリング的に解体して、新しい「狩猟採集民」的な文明を20年かけて生みだしてきたと言える。

いまのアズワンの人数が200人ぐらいのダンパー数であるというところがまた興味深い。顔の見えるダンパー数を超えて、より多くの人が共同しながら、同時に、農耕文明への移行で起きてしまった同じ轍を踏まないように、「フィクション」の新しい使い方をすることで、人間本来の利他的な人間性に基づく新しいグローバルな文明を作り出せるかどうか。鈴鹿のコミュニティを超えて、日本各地、世界各地に人と人との本来の関係を作り、新たな社会実験に踏み出そうとしているのが、アズワンネットワークだと言えるだろう。

サイエンズメソッドによって、自分の心により自覚的になり、フィクション、人間の考えに心が拘束されるメカニズムに自覚的な人たちがある一定数集まれば、いまの社会と違う特別な暮らし方や生き方をしなくても、従来の社会に溶け込む感じで、外から見れば普通の暮らしと何も変わらない暮らしをしながら、利他的な本性にかなった小さな社会を実現できるということを、アズワンは社会実験として実際に証明している。

その実験成果をもとに、ダンパー数を超えて、人間が抽象化される規模のネットワークとして広げて行こうとしている。

アズワンを訪ねた体感としては、喜びが循環する感じであり、その喜びの循環がめぐる人と人の関係の中で、さまざまな社会的な機構、制度が、ゼロベースの話し合いの中で試され、作られていっている感じで、ダイナミックに成長している感じがする。それはまさに「学習する組織」であり、そういう部分も含めて、MITのオットー・シャーマーが開発したU理論のコミュニティで、アズワンが注目され、取り上げられたところではないだろうか。

そして、新しいグローバル文明の創造において、一番面白いところが、既存の社会自体が、「フィクシュン」という認識を歪ませるフィルターに自覚的になって見た時に、すでに理想的な社会として実は機能していることに気づくということだ。その気づきに基づいて、よりよい社会へとどんどん進化させていく。だれも敵にしない、だれも取り残すことのない社会進化の始まりである。

アズワン
http://as-one.main.jp/HP/index.html
サイエンズメソッド
http://as-one.main.jp/HP/scienz_method.html
アズワン体験ツアー
http://as-one.main.jp/HP/tour.html
アズワンセミナー
http://as-one.main.jp/HP/seminar.html

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