レベッカ・ソルニット『災害ユートピア なぜそのときに特別な共同体が立ち上がるのか』6
「災害中の喜びは、もしがそれが訪れるとするなら、はっきりした目的の存在や、生き延びることや、他人に対する奉仕への没頭や、個人に向けられた個人的な愛ではなく市民としての愛からやってくる。市民の愛、それは、見知らぬ者同士の愛、自分の街に対する愛、大きな何かに帰属し、意味のある仕事をすることに対する愛だ。
脱工業化した現代社会では、このような愛は大抵冬眠中か、もしくは認められていない。それ故に日常生活は災難なのだ。と言うのは、役割を与えられて行動することこそ、社会を、回復力を、コミュニティーを、目的を、そして生きる意味を築く愛だからだ。、個人生活は極めて重要だが、今ほど恋愛や家庭生活を称える言葉が幅をきかせていた時代はかつてなく、反対に社会生活を称える言葉は、少なくとも英語圏の主流マスメディアではますます萎縮している。しかし、贈り物経済や、参加型直接民主主義、市民社会、都市復興、愛されるコミュニティー、歓喜、団結などのアイデアが、今、周辺部に大挙して押し寄せている。人々が今ほど多くの方法で、こういったものに手を差し出した事はなく、国中で、農業から分権的意思決定のシステムまで、今ほど主流でないやり方が多く試されたこともかつてない。」
「災害は私たちに別の社会を垣間見させてくれるかもしれない。だが、本題は災害の前や過ぎ去った後に、それを利用できるかどうか、そういった欲求と可能性を平常時に認識し実現できるかどうかだ。ただし、これは将来、平常時があればの話である。私たちは今、災害がますますパワフルになり、しかも今までよりはるかに頻繁に起きる時代に突入しようとしている。」
自然災害はますます激しくなり、環境破壊、環境汚染は止まることを知らず、エネルギーや資源は枯渇していく一方、人口の増加は止まらず、各国はいまだに持続可能な成長という名の経済成長を国家目標としている。そのような巨大な「崩壊」を予感させる地球に生きる僕たちは、しかしその「崩壊」の最中にあって、僕たちの中に眠っている最高の人間的価値を解き放ちうるのだろうか。
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