コロナウイルスとサイエンズメソッド
コロナウイルスによってこれまでの社会、世界が、突然、当たり前のものではなくなってきました。
さ「不要不急」のことが、社会や人の行動からいわば強制的に削ぎ落とされて、突然出現したこの新しい社会を、これからどのようにして意図的に意識的に、人類にとって人にとって、これまでの社会以上に暮らしやすいものにしていくのか、そのためにどのようにしていけば良いのか、そういう観点からこの文章を書いています。
はい、危機はチャンスでもあるという話です。
3.11の後も、そのような危機でありチャンスである時が流れました。絆が意識され、お金よりも命の大切さが誰の目にも明らかとなり、深い自省や反省が行われました。しかしあの時は、やがて揺り戻しが始まり、生きること、暮らすことの本質を問う気持ちは、いつのまにか日々の忙しさの中で、後回しにされてしまいました。
コロナウイルスは、人と人のつながりを呼び起こすのではなく、3.11とは正反対に、人と人の関係の中に不安と恐れをもたらしました。しかしそのことが同時に、いかに社会とは人と人の緊密なつながりによって営まれているものなのか、いかに人は人と人のつながりの中で生かされているのかという実体を私たちの目の前にあらわにしているのではないでしょうか。
普段は「お金」と「モノ」というものに注意が向いてしまい、その背後にある人の行為のつながりによって自分の暮らしの全てがもたらされているという現実に注意が向いていません。
さらに有事になると「モノ」がなくなるのではないか、「お金」が紙切れになってしまうのではないかというような不安、心配で頭がいっぱいになってしまい、ますます一番底の底で私たちの暮らしを支えている人や人の行為が見えなくなってしまっているのではないでしょうか。
しかし社会の実体にきちんと目を向けるならば、私たちの暮らし、命そのものを支えているのは、人であり、人と人の分業による社会が、衣食住を支えています。その実体に、私たちが想い、関心を向けることができれば、安心は人の中に生きていることから直接的に来ているのであり、喜びも幸せも人と人のつながりから来ていることを、だれでもが自然に実感することができるのではないでしょうか。
その実際に立ち返ったところから、改めて今の社会を見るならば、私たちに、何が不要不急で、何が本質的で必要不可欠なものかの共通理解が、自ずから生じるのではないでしょうか。
人と人が安心して、豊かに、楽しく生きるために何を大切にしたら良いのか、その共通理解は、きっと意見が割れ、激しく論争して、無理矢理に多数決だ、権力だのによって、これだと決めなくてはならないものではないと思います。
ぼくが去年から、鈴鹿のコミュニティ、アズワンで学んでいるサイエンズメソッドは、4つのステップに分かれます。
1 人間の考えを知る
2 事実、実際はどうか?
3 本来、本質はどうか?
4 理想を実現する
これだけ書き出すと何のこっちゃという感じですが。
自然科学、そしてそこから派生した技術は、驚異的に発展し、人類は、豊かな社会を作り出してきたのに、人間は仲良く幸せに満ち足りて暮らすという一見シンプルで、だれもが反対しないだろう社会を実現できていません。
その原因を探るところ、検討するところから生まれたのがサイエンズメソッドだとぼくは理解しています。
単純化して言えば、人間に対して自然科学のような科学的方法論で研究ができていないというのがその理由です。
人文科学、社会科学はそれなりに長い歴史を持っていますが、それはまだ本当に科学という何ふさわしい段階にまで発展していないのではないかということです。
サイエンズメソッドは、その原因を人間の考えにあることを発見することで生まれた人間や社会を研究する科学的方法だと、ぼくは理解しています。
アズワンのHPには以下のように説明されています。
サイエンズ(ScienZ) は、Scientific Investigation of Essential Nature(本質の科学的探究)の頭文字 SCIEN と Zero(零・無・空・・・)の Z によるものです。
「科学的本質の探究」をやさしく言うと、どこまでも「分かった」、「できた」等、結論づけない営みとも言えます。
人の言動や、あらゆる事象について、固定・停滞なく、ゼロから、その背景や元にある内面・真相・原理を知ろうとする考え方を「サイエンズ」と呼んでいます。サイエンズは、人間の知能を最大に活かして、科学的に本質を探究しながら、実現をはかる考え方を表しています。
人間を知り、人間らしく生きる営みとも言えます。
http://as-one.main.jp/HP/scienz_method.html
自然科学は、数学が基礎にあり、数字によって記述されます。
人文科学、社会科学は、言葉が基礎にあり、言葉によって記述されます。
自然科学は、探求の結果、観測自体が観測に影響を与えるという自己言及的な構造は発見しました。
それに比べて、人文/社会科学は、人間の心というものを扱っているのに、そのこころに言語、考えそれ自体が、人間の心にどのように影響を与えているのかという点に無自覚なまま言葉によって、人間の心、人間、社会を記述しようとしています。
サイエンズメソッドは、その言葉、人間の考えがどのように心に影響を与え、その結果、社会がどのようになるかを探求して行く方法論です。
そして方法論としては、上記の4つのプロセスしかないのでシンプルです。
ですから、サイエンズメソッドを学ぶとは、方法論を知識として学ぶというよりも、サイエンズメソッドを使って、自分とは何か、人生とは何か、社会とは何かということをグループのオープンダイアローグを通して直接的に知って行く方法です。(日本に昔からある自己探求方である「内観」だけは、一人で探求していきます)
そして知ることが自ずから理想を実現して行くということにつながる理にかなった方法とも言えます。
それは自然科学が宇宙の理を発見し、その理を応用することで、さまざまなことを実現してきたこととパラレルな感じがします。
人間の考えが、人間の心、感情、行為にどのように影響を与え、どうして仲良く幸せに満ち足りて暮らすというシンプルな理想の社会を作れないようにしているのか、それがサイエンズメソッドによって一人一人に見えてきます。
そしてその原因が分かれば、自ずから人は本来のところに立ち返り、そこから自然に理想的な暮らし、社会が営まれて来るようになります。
人間の考えによってではなく、サイエンズメソッドによって発見された人間の理、宇宙の理に沿って、20年の年月をかけて実際に生まれ、発展してきたのが、鈴鹿のアズワンというコミュニティです。
http://as-one.main.jp/HP/suzuka.html
コロナウイルスによって半ば強制的に社会の有りようが根本的に問われようとしているこの時に、一人でも多くの人が、人間の考えによって、事実、実際が見えなくなっている自分の心の状態を知り、それによって、事実、実際の方へと自然と注意、関心が向き、そこから本来の人間の姿を発見し、理想が自ずから立ち上がって行くようになればと思います。
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