岡真里『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』
「敬虔なユダヤ教徒にとっては、ユダヤ人は世界に離散していて、どの国でもマイノリティの存在で様々な差別に遭う、これは神がユダヤ人に与えた試練であり、その 試練を甘受しながら、ユダヤ教徒として神の教えに従って正しく生きていれば、いつの日か、神はメシア=救世主を遣わして、我々をパレスチナに帰してくれる――これが、 少なくとも紀元以降のユダヤ教の教えです。 だから、敬虔なユダヤ教徒にとっては、神がメシアを遣わしてもいないのに、人間の手で、それどころか帝国の軍事力を利用して、自分たちの国を創って神が与えた試練であるディアスポラ=離散状態に人為的に終止符を打つなどというのは、ユダヤ教 それ自体の否定である。ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人、その教えを守る人たち のことだから、正統派ユダヤ教徒は、シオニストはもはやユダヤ人ではない、とさえ考えました。」
「西欧社会が近代市民社会になっても、ユダヤ人差別、反ユダヤ主義というヨーロッ パ・キリスト教社会の歴史的な宿病を克服することができなかったから、ということです。ヨーロッパのユダヤ人は、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義というレイシズム、 人種主義の犠牲者です。それは間違いありません。
でも、彼らシオニストのユダヤ人たちは、自分たちの人間解放を目指した時、帝国の武力を背景にして、パレスチナというアジアの、アラブ人が暮らす土地に、ヨー ロッパ人である自分たちが武力でもって国を創るということをなんら怪しみませんでした。つまり当時のヨーロッパ人が持つ、アラブ人、ムスリム、アジア人などに対するレイシズムと、ヨーロッパ人、西洋白人が軍事力の行使によって彼らの土地に自分たちの国を持つのは当然だとする植民地主義の精神を、シオニストたちもまた、当然 のこととして共有していたということです。」
「人口的に三分の一、土地に関しては、左端の地図が示すように数パーセントしか持っていなかったユダヤ人に、歴史的パレスチナの半分以上の土地を与えるという案でした。 この分割案が四七年十一月二十九日に国連総会にかけられる前に、国連は特別委員会を設けて、この分割案についてアドホック委員会に検討させています。
アドホック 委員会は分割案を子細に検討して、結論を出しました。 第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、オスマン帝国領であった東地中海のアラブ地域をフランスとイギリスが植民地分割した結果、パレスチナは当時、国際連盟によ る委任統治という名の、イギリスの植民地になっていました。 しかし、委任統治というのは、その土地の住民が独立できるようになるまで国連が別の国(この場合はイギリス)に統治を委任するというものです。どこかまったく別の地域の人々の国を創るために、委任統治システムがあるのではあ りません。
アドホック委員会は、 分割案は国連憲章違反である、国 際法にも違反している可能性があるので、国際司法裁判所に諮るべ きである、つまり、法的に違法だと結論づけます。また、経済的には、ユダヤ国家は良いが、アラブ 国家は持続不可能になると指摘しました。 さらに、アドホック委員会は、 ヨーロッパのユダヤ人難民問題は 関係当事国が可及的速やかに解決しなければならないが、それをホロコーストとなんら関係のないパ レスチナ人に代償を支払わせる形で、パレスチナの地にユダヤ人の国を創って解決しようなどいうのは、政治的に、端的に言って不正(unjust)であると言い切っていま す。そして、こんな分割案は採択されたとしても機能しない(unpractical)と断言し パレスチナ分割は、国連憲章違反であり法的に違法、アラブ国家は経済的に持続不可能、政治的には不正――これがアドホック委員会の結論です。ところが、アドホッ ク委員会がこのように結論づけた分割案が、特別委員会で可決され、総会にかけられて、ソ連とアメリカの多数派工作によって賛成多数で可決されてしまいます。
七十六年後の今、振り返れば、まさにこのアドホック委員会の結論こそ、正しかったと分かります。こんなことは機能しないとアドホック委員会が断言したとおりになりました。そして、今、第二のジェノサイドが起きてしまった。第二次世界大戦後、 発足したばかりの国際連合は、誕生してわずか数年で、自らの憲章の精神を裏切る決議を行ったということです。 「アラブは分割案を受け入れなかった」などと言われますが、アドホック委員会のこの結論を見れば、なぜアラブ人がこんな不正な分割案を受け入れて、自分たちが暮らす土地にヨーロッパのユダヤ人の国を創ることに同意しなければいけないんだと、そう思って当然ではないでしょうか。
この分割案が採択されたことに対して、のちにイスラエルの初代首相となるシオニ ズムの指導者、ベングリオンは何と言ったでしょうか。地図上のアラブ国家の部分に住むのはほぼ一○○パーセントアラブ人ですが、ユダ ヤ国家の部分に住むユダヤ人は六○パーセント程度で、残り四○パーセントはアラブ人です。 ベングリオンは、「たとえユダヤ国家ができたとしても、ユダヤ人の人口が六割では、安定的かつ強力なユダヤ国家にはならない」と言いました。言い換えれば、安定した強力なユダヤ国家にするためには、ユダヤ国家の領土にいるアラブ人を可能な限り排除しろということです。つまり、民族浄化の教唆です。
国連総会がパレスチナの分割を決議した四七年十一月末から、四八年五月のイスラ エルの建国を挟んで四九年の年明けまで、一年以上にわたり、パレスチナの各地で、 パレスチナ人に対する民族浄化の嵐が吹き荒れることになります。 一九四八年四月九日、エルサレム郊外にあるデイル・ヤーシーンというパレスチナ人の村で、老若男女を問わず村民百人以上が集団虐殺されるという出来事が起きました(女子学生たちは殺される前にレイプされました)。 イルグン・ツヴァイ・レウミとレヒというユダヤの民兵組織が行った虐殺です。イルグンのリーダーであるメナヘム・ベギンはのちにイスラエルの首相となり、エジプ トのサダト大統領と和平条約を結んだことでノーベル平和賞を受賞することになる人物です。 この事件の直後、虐殺の首謀者たちは事件の隠蔽を図るどころか、記者会見を開き、 内外の記者に対して、自分たちがアラブ人二百数十人を殺したと、犠牲者の数を倍増して発表します。これがパレスチナにとどまるパレスチナ人の運命だ、というプロパ ガンダです。事件はパレスチナの内外に一斉に報じられました。この事件後、パレスチナの人々は、ユダヤ軍、イスラエル建国後はイスラエル軍が自分たちの村や町に迫ってきたら、とるものもとりあえず、着の身着のまま逃げることになります。 虐殺首謀者のプロパガンダもあって、長らくこのデイル・ヤーシーン事件が当時の 民族浄化を代表する集団虐殺と思われていたのですが、現在では、パレスチナの各地でデイル・ヤーシーンを上回るものも含 めて、多数の集団虐殺が起きていたこと が分かっています。 こうして一九四八年、イスラエルはパレスチナ人に対して意図的な、組織的か つ計画的な民族浄化を行いました(ダー レト計画)。七十五年前にパレスチナ人を襲ったこの民族浄化、祖国喪失の悲劇を、アラビア語で「ナクバ」と言います。 「大いなる災厄」という意味です。
イスラエルが建国された同じ年、一九四八年の十二月十日に、国連総会で世界人権宣言が採択されます。その第十三条第二項には「すべての人は、自国その他の国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する」と書かれています。つまり、自分たちの国に帰るのは基本的人権だということです。 世界人権宣言が採択された翌日、国連総会は総会決議194号を採択します。その中で、イスラエル建国によって難民となったパレスチナ人は、即刻自分たちの故郷に帰る権利がある、帰還を希望しない難民に対しては、イスラエルは彼らが自分たちの故郷に残してきた財産を補償するように、と述べられています。パレスチナ難民が、 イスラエルとなってしまった自分たちの村や町に帰るのは彼らの基本的人権であり、 国際社会も認めるパレスチナ人の民族的な権利であるということです。 しかし、パレスチナ難民は七十五年経っても、孫、ひ孫の代になっても、故郷に帰れないでいます。イスラエルが彼らの帰還を現在まで認めていないためです。認めないどころか、イスラエルによる民族浄化は形を変えながら、今日までずっと続いてい ます。ナクバは七十五年前に起きて、終わってしまった過去の出来事ではなく、今に至るまで続く現在進行形の事態です。」
「今までのことをまとめると、ユダヤ国家イスラエルの建国は、レイシズムに基づく植民地主義的な侵略であること、そして、パレスチナ人を民族浄化することによって、ユダヤ人によるユダヤ人のためのユダヤ人至上主義国家がパレスチナに創られたということです。その暴力は建国以来、現在に至るまでずっと継続しています。
これはハリウッドで制作されるホロコーストをテーマにした映画ではまったく語ら れることのない、イスラエルという国についての歴史的事実です。ユダヤ人が祖国を持った結果として、パレスチナ人は第二のユダヤ人、現代のユダヤ人にされてしまったのです。
そして、ヨーロッパ・キリスト教社会における歴史的なユダヤ人差別と、近代の反 ユダヤ主義の頂点としてのホロコースト、その責任を負っているはずの西洋諸国は、 その責任を、パレスチナ人を犠牲にすることで贖ったということになります。パレス チナ人に自分たちの歴史的犯罪の代償を払わせ、今に至るまでパレスチナ人に対するイスラエルの犯罪行為をすべて是認することによって、西洋諸国はその歴史的不正をさらに重ねています」
「一九四八年の民族浄化で、七十五万人以上のパレスチナ人が難民化します。
一九六七年、第三次中東戦争でイスラエルは、一九四八年の戦争では占領することができなかった、聖地のある東エルサレムとヨルダン川西岸地区、ガザ地区、エジプ トのシナイ半島とシリアのゴラン高原を一挙に占領します。 ナクパから二十年近く、パレスチナ人は国際社会が自分たちを故郷に帰してくれると信じてずっと、難民キャンプのテントで暮らしていたわけですが、それとは真逆に、 イスラエルの占領はさらに拡大することになってしまいました。歴史的パレスチナの 全土がイスラエルに占領されてしまったのです。国連、あるいは国際社会は、自分たちを気の毒な難民と思ってテントや食料を支給してくれるけれども、この歴史的な不正を政治的に解決し、自分たちを故郷に帰す意思はないんだと、この時、パレスチナ 人は痛感します。
一九六七年のイスラエルによる占領をきっかけに、国際社会は何もしてくれない以 上、自分たちの手で祖国を解放するしかないと思った者たちが、難民キャンプで生まれ育った第二世代を中心に、マルクス・レーニン主義を掲げるPFLP (パレスチナ解放人民戦線)やDFLP (パレスチナ解放民主戦線)のような武装解放組織を立ち上げます。 そこからさらに二十年が経ち、一九八七年にパレスチナで第一次インティファーダが起きます。国際社会は「イスラエルの占領は違法」としながら、占領の継続に対して何ら実効的な措置はとらない。二十年に及ぶ占領下で鬱積した民衆の怒りが爆発し たのがインティファーダです。自分たちの手でイスラエルと闘おうと、子供たちもフ ル装備のイスラエル兵に石を投げ、「石の革命」と言われました。女性たちも石を砕いたり、闘う若者を匿ったりしてインティファーダに参加します。 この時、ガザで、イスラーム主義を掲げる民族解放組織「イスラーム抵抗運動(略称ハマース)」が誕生します。 つまり、ハマースというのは、ファタハやPFLP、DFLPと同じように、占領 された祖国を解放する民族解放運動の組織であり、PFLPがマルクス・レーニン主 義を掲げるのに対して、ハマースはイスラーム主義を掲げる、そういう団体です」
「一九九三年、オスロ合意が調印されます。オスロ合意とは、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が相互承認し、イスラエル軍は占領しているヨルダン川西岸や ガザから漸次撤退し、パレスチナが暫定自治を始める、そして向こう五年の間に「最 終的地位」について合意し、公正で永続的な包括的和平を実現する、というものでした。九四年にはパレスチナ自治政府が発足し、暫定自治が始まりますが、合意から七年後の二〇〇〇年、第二次インティファーダが起こります。 第二次インティファーダが始まる三カ月前、私はパレスチナを訪れました。オスロ 合意から七年、二国家解決の枠組みで、この地域もようやく平和になると世界的に言 われていたけれども、実際に現地に行ってみると、パレスチナ自治政府が置かれた西 岸のラーマッラーでさえ、パレスチナ人の土地が日々奪われ、入植地がどんどん造られているのを目の当たりにしました。
報道では、イスラエルと、パレスチナ自治政府を担っているファタハは二国家で平 和共存していこうとしているのに、ハマースがイスラエル憎しで和平に反対している とされています。パレスチナ全土の解放を掲げるハマースが二国家解決を謳うオスロ 合意に反対していたのは事実ですが、でも、入植地建設の拡大が端的に示しているよ うに、そもそもイスラエルには、たとえ西岸とガザのミニ国家であろうと、主権を もったパレスチナの独立国家など創らせるつもりなど毛頭なかったのです。
二〇〇六年、パレスチナ立法評議会選挙が行われます。日本で言えば総選挙に相当 します。この選挙はEUの監視団なども来て、近来稀に見る民主的な選挙であったと お墨付きを与えられましたが、その選挙でハマースが勝利を収めます。
ハマースは最初、自分たちだけで組閣しましたが、ハマースをテロ組織と見なすイ スラエルやアメリカはハマースの政府を認めませんでした。それを受けてハマースは、 ファタハのメンバーも入れて統一政府を作ります。ハマース憲章にはパレスチナ全土 の解放が掲げられていますが、この時、アメリカのブッシュ政権に対して、「この統 一政府を承認してくれるなら、オスロ合意に則って、ガザと西岸に主権をもったパレ スチナの独立国家を創り、イスラエルと長期にわたって休戦条約を結ぶ準備がある」
とまで申し出ています。
それに対するアメリカの返事はどういうものだったか。 アメリカやEU諸国は、ファタハのメンバーに軍事訓練を施し、アメリカは、当時 のガザ地区のファタハの治安部門の責任者だったムハンマド・ダハラーンという人物 に兵站(武器や食糧)を提供し、ハマースに対してクーデターを画策させます。かつ て一九七三年、アメリカの裏庭であるチリに社会主義のアジェンデ政権ができた時、 アメリカはビノチュト将軍を抱き込んでクーデターを起こさせましたが、それと同じ ことをガザで行おうとしました。ガザは、内戦状態になります。 ところが、アメリカやイスラエルの思惑に反して、この内戦に勝利したのはハマー スでした。繰り返しますが、もともとハマースは民主的な選挙で政権与党になってい ます。そのハマースへの政権移譲を認めずに、アメリカはクーデターを画策しようと したところ、機先を制して、ハマースがそれに勝利したのです。 「ガザを実効支配するイスラーム原理主義組織ハマス」などと聞くと、IS(イスラ ム国)のような暴力集団が武力でガザを制圧し、支配しているように思えるかもしれ ませんが、内実はまったく違うということです。 アメリカが仕掛けたガザでの内戦により、パレスチナは分裂します。
ハマース政権と 西岸のファタハ政権という二重政権になりました。そして、アメリ カやイスラエルがテロ組織とみなすハマースを政権与党に選んだパレスチナ人に対す る集団懲罰として、二○○七年、ガザに対する完全封鎖が始まります。 それ以前からハマース締め付けのために、ガザは封鎖されていたのですが、ここにおいて全面的な封鎖となります。人間の出入域、物資の搬入・搬出、すべてをイスラ エルが管理する。南の国境を管理しているのは、イスラエルと同盟しているエジプトですが、イスラエルの指示の下にあります。集団懲罰は、国際法違反です。
これまでご説明したように、報道とは裏腹に、ハマースというのは、占領された祖国の解放を目指す民族解放の運動組織です。そして今回、二○二三年十月七日にハマース主導によりガザのパレスチナ人戦闘員たちが行った奇襲攻撃は、占領軍であるイスラエル軍に対する抵抗として、国際法上認められている抵抗権の行使です。
占領下や植民地支配下の人々は、武力による戦いや抵抗も含めて、国際法上、抵抗権が認められています。 ただし、その場合、きちんと兵士と分かる服装をすることや、 占領軍や占領軍の兵士を攻撃の対象にすることなどの規定があります。
もちろん民間人を襲撃し、彼らを人質に取るという作戦に関しては是認できないも のがある。
しかし、歴史的文脈を踏まえたならば、彼らがユダヤ人憎しで民間人を殺しまくる テロリストだというのは、事実とまったく異なるということです。民間人を巻き込む 作戦の是非は厳しく問われなければならないけれど、この軍事攻撃自体は占領された 祖国解放のために実行されたものです。 イスラエルが躍起になって否定したいのがこのことです。祖国を占領から解放するために、ガザのパレスチナ人の若者たちが死を覚悟して戦っている、大義ある戦いを行っているというこの歴史的文脈こそ、イスラエルにとって最も都合の悪いことだからです。それは、自分たちがどのようにして国を創ったか、その血にまみれた暴力的 な経緯を明らかにするものだからです。なので、その歴史的文脈はなるたけ消し去って、「血に飢えたテロリスト・ハマス」がIS以上の暴力を行っているのだという情報をまず流したのです。 」
「完全封鎖されたガザは「世界最大の野外監獄」と言われます。完全封鎖というのは、 単に物が入ってこなくて物不足になるとかいう、そんなレベルの話ではありません。 占領者が自らの都合のいいように、なんでも自分たちの意のままに決めているということです。
二三〇万の人間が、占領者に服従しなければならない、そういう状況に生まれてからずっと置かれている。今、この講演会場には大学生の方々がたくさんおられますが、 ガザの同じ年代の若者たちは物心ついてから、ずっとガザに閉じ込められているんです。それを世界はこの十六年見捨てているわけです。この世界最大の野外監獄の中で、 パレスチナ人が「生き地獄」と言われるような状況の中で苦しんでいても、世界は痛くも痒くもない。ずっと放置している。何か凄まじい攻撃が起きた時だけ話題にして、 停戦したら、もう忘れる。その繰り返しです。そこでイスラエルによる戦争犯罪が行 われても、問題にしない。
二〇一四年の五十一日間戦争の時に、ハマースは無条件停戦案を拒否しました。封鎖解除を条件にしない停戦は 受け入れることができない、 と言って。それに対して日本 や国際社会の報道は、ハマー スを非難しました。「せっか くイスラエルが停戦を提案し たのに、ハマースが自分たち の条件に固執してそれを蹴っ たがために空爆が続き、ガザ のパレスチナ人が殺されている」と。ガザのパレスチナ人を殺しているのはイスラエルなのに。
その一週間後、ガザの市民社会の代表たちが世界に向かって英語で、「ガザに正義 なき停戦はない」というタイトルのメッセージを発信しました。その中で、「封鎖解 除なき停戦を受け入れろというのは、この攻撃が始まる以前の状態(すなわち七年間 続いた封鎖の状態)にただ戻れということで、それは我々にとって生きながら死ねと いうのに等しい」と訴えました。完全封鎖のもとで生きることは、人間にとって「生 きながらの死(living death)」であるということです。
本当は、もっともっといっぱい、お話ししたいことがあるのですが、最低限、以下のこと、
・なぜパレスチナ人が難民となったのか
・イスラエルはどのように建国され、イスラエルとはどのような国なのか
・ガザの人々が、とりわけこの十六年以上置かれてきた封鎖というものが、どうい う暴力であるのか
これらを押さえていただければ、ハマース主導によるガザの戦士たちによる今回の越境奇襲攻撃というものが――そこに国際法上の戦争犯罪があったことを否定するもの ではないですが――イスラエルが喧伝しているような、血に飢えたテロリストによる残忍な民間人を狙った殺戮などではない、もっと別の姿として見えてくると思います。
それをイスラエルは知られたくない。だから徹底的に覆い隠す。そして、その覆い 隠す報道に日本のメディアも乗っかって、七十五年前からじわじわと続く「漸進的 ジェノサイド」(イラン・パペ)の総決算のようなものが今、起きている。このことをぜひ、ご理解ください。
最後に、次の言葉をご紹介します。マンスール・アル=ハッラージュという、イス ラーム中世の神秘主義の思想家の言葉です。
地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。
人が苦しんでいるのを誰も見ようとしないところのことだ。
多大な犠牲を払いながら訴えた、 七十年経っても実現しない難民の帰還の要求も、十年以上に及ぶ違法な封鎖を解除してくれという要求も、メディアでは報じられませんでした。パレスチナ人の正当な主張を行った平和デモへの攻撃で膨大な数の死傷者が出たことも、国際法で禁じられている兵器を使って、意図的に障害者を作り出しているといったことも、まったく問題にされませんでした。
日本のメディアは、五月十四日のアメリカ大使館のエルサレム移転の式典を報じる、その報道の刺身のツマのように、移転に反対するパレスチナ人が、ガザで大規模な抗議デモを行っています、そこで死傷者が出ています、ということを伝えただけでした。
イスラエルは軍事占領した東エルサレムを併合し、そこを首都としている。これ自体が国際法違反です。そのエルサレムにアメリカ大使館を移転する、これも国際法違反です。この事実を、きちんと報道する主流のメディアはありませんでした。
停戦、そして忘却。 こうやって私たちは忘却を繰り返すことによって、今回のガザ、この紛れもないジェノサイドへの道を整えてきたことになります。
メディアも市民社会も、攻撃が続いて建物が破壊され、人が大量に殺されている時だけ注目して、連日報道し、でも、ひとたび停戦すれば忘れてしまう。ガザの人々の生を圧殺する封鎖は、依然続いているにもかかわらず。パレスチナ人「だけ」が苦し んでいる限り、イスラエルがどれだけ国際法を踏みにじり、戦争犯罪を行おうと、世界は歯牙にもかけない。 世界が認める、国際社会が認めるパレスチナ人の正当な権利の実現を、国際社会に 向かってパレスチナ人が非暴力で訴えても、そのデモがイスラエルに攻撃されて死傷者がどれだけ出ても、世界にとってはどうでもいい。せいぜい、アメリカ大使館のエ ルサレム移転の報道のツマとして、ガザでそれに反対する抗議デモがあったと紹介すれば事足りるような、そういうものだということです。
私には、この恥知らずの忘却と虐殺の繰り返しが、今、ガザで起きているこのジェ ノサイドをもたらしたのだとしか思えません。
非暴力で訴えても世界が耳を貸さないのだとしたら、銃を取る以外に、ガザの人たちに他にどのような方法があったでしょうか。反語疑問ではありません。純粋な疑問です。教えてください。
ガザとは何か。
ガザ、それは巨大な実験場です。
イスラエルの最新式兵器の性能を、実践で実験するところ。大規模攻撃を仕掛けれ ば、世界のニュースがそれを放映してくれる。ガザは、その兵器の性能を実演して見 せるショーケースです。新兵器の開発で用済みになってしまう古い兵器の在庫も一掃 できる、ガザはそういう便利な場所です。
ガザ、それは実験場です。
百万人以上の難民たちを閉じ込めて、五十年以上も占領下に置き、さらに十六年以上完全封鎖して、食糧も水も医薬品も、辛うじて生きるのに精一杯という程度しか与えないでいたら、人間はどうなるか、その社会はどうなるか、何が起こるのか、とい う実験です。
産業基盤は破壊されて、失業率は五〇パーセント近く、世界最高水準です。そして、 五〇パーセント以上が貧困ライン以下の生活を強いられ、三割の家庭が子供の教育費 すら賄えないでいる。八割の世帯が食糧援助に頼らざるを得ない状態で、国連や国際 支援機関が配給する小麦粉や油や砂糖といったものを大量に摂取することで辛うじて 生命維持するためのカロリーを賄っている。 炭水化物や油を大量に摂っていたらどうなるか。今、糖尿病がガザの風土病になっ ています。ガザの人が糖尿病で太っているので、イスラエルは、「みんな太ってるじゃ ないか、完全封鎖でガザの住民が飢えているなんて嘘だ」というようなことを言います。
もう一つ強調したいのは、パレスチナ問題の根源にある、イスラエルによる占領、 封鎖、アパルトヘイト、そして、難民の帰還――これらはすべて、「政治的な問題」 だということです。
植民地支配されている国の独立が、政治的な解決を必要とする政治的問題であるのと同じく、パレスチナ問題は政治的な問題です。しかし、イスラエルは人為的にガザに大規模な人道的危機を創り出すことによって、本来は政治的問題のはずのものを 「人道問題」にすり替えています。
よくガザは「天井のない世界最大の野外監獄」だと言われますが、今の状況は監獄どころではないです。囚人が無差別に殺される、こんな監獄ありますか。少なくとも 十月七日以降のガザを「世界最大の野外監獄」と言うのは間違っています。監獄でこんなことは起きないです。もはや絶滅収容所です。 問題の解決に必要なのは、政治的解決です。
でも、こんな状況になったら、人道支援を優先せざるを得ないですよね。今回、日本も十五億円の人道支援をすぐに表明しましたが、これまでもそうでした。政治的な 解決を放っておいて、破壊されるたびに復興支援や人道援助だけをしても、また次の攻撃で破壊される。私たちの税金が、これまでずっとそんなふうに使われていることにも、私たちは怒らなくてはいけない。十何億円支援したって、次の攻撃があれば、 また瓦礫になってしまうのです。
もちろん、今生きていくためにはそうした人道支援は不可欠です。でも、封鎖や占領という政治的問題に取り組まずに、パレスチナ人が違法な占領や封鎖のもとでなんとか死なずに生きていけるように人道支援をするというのは、これは、封鎖や占領と 共犯することです。だから、政治的な解決をしなければいけないんです。
南アフリカのアパルトヘイトに対して、世界は、人種差別をしている白人至上主義、 白人政権の南アフリカとは貿易しないと決めました。でも、世界がアパルトヘイト廃 絶のためにボイコットした南アフリカの市場で、競争相手がいないのをいいことに、 製品を売りまくったのが日本です。
ノーベル文学賞を受賞した南アフリカの作家、J・M・クッツェーの小説などを読 んでいると、登場人物が「トヨタ」に乗るというような描写が出てきます。わざわざ 日本車であるということが明示的に書かれている。これってすごく恥ずかしいことで はないですか。
二〇一四年、来日したネタニヤフ首相と、安倍首相(当時)は、「日本とイスラエルの包括的パートナーシップの構築に関する共同声明」を発表しています。これも、 恥ずかしいことの一つです。