ジョン・ル・カレの遺言
知り合いのFBの投稿で、ジョン・ル・カレの遺作『シルバービュー荘にて』の存在を知り、懐かしくもあり、何か追悼のような気持ちもあり、図書館で借りて読んだ。
(以下ネタバレになるので、ミステリーとしてこの本をこれから楽しみたい人は読まない方がよいかも。でも書いておきたいので、ごめんなさい)
彼の作品は、大昔、一冊だけ、英語で読んだ。多分、英語を勉強しようと無理して読んだようだ。なぜ彼の本を選んだのかはすっかり忘れている。英語が不十分にしか理解できないなりにも、東西冷戦で対立する国家の間で、国家権力に忠実であるべきはずのスパイたちが、その正義と道義から外れ、裏切りの恐れや危険も承知の上で、人間としかいいようのない情を通わせる心の動きに、感動したことははっきりと心の中に刻まれていた。
それなのに、なぜか、それっきりル・カレの作品を読まなかった。2冊目に、本当に久しぶりに読んだのが、今回の作品だった。
遺作は、イギリスの諜報部員でありながら、ガザに住むイスラムの活動家たちにイギリスの情報を流していた男の話だった。この遺作は、2020年の彼の死後、彼の机の引き出しの中に残されていた原稿で、何度も加筆修正が加えられていたそうだが、彼の生前、彼の手元から離れることはなかった。
イスラエル建国やパレスチナ紛争、中東危機の元を作ったイギリスと、彼自身もかつて所属したイギリス諜報部への批判が、そこには読み取れる。その批判は、小さきものたちの命が、国家、国益、正義、忠誠、権益等々、大きなものによって冷酷に蹂躙されることへの、静かな、しかし断じて妥協を拒むル・カレの抗議と抵抗の声として聴こえてくる。
ガザで起きているイスラエルによるジェノサイドは、単にいま起きている突然の出来事ではなく、長く続けられてきた民族抑圧・浄化のプロセスの一環であることを、ル・カレが天国から伝えているように思える。それは決して声高な非難の声でなく、人間の中にある尊厳に立とうする人の静かなで穏やかな声として、こちら側の深いところに響いてくる。
最後に本書の一節を引用として、ジョン・ル・カレへの追悼の気持ちとしたい。合掌
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フロリアンの話を聞く限り、そこはサラエボから車で1日かけてたどり着く、山々にかこまれたボシュニャク(イスラム)人のほかの村となんら変わらなかった。モスクがひとつ、教会がふたつ ーカトリック教がひとつ、正教会がひとつー あり、教会の鐘がイスラムの祈祷時刻告知の呼びかけと重なることもあるが、誰も気にせず、そんなところがすばらしいとフロリアンは考えていた。「宗教のせいで誰かがよりよい人間になるということを、彼は断じて認めなかったけれど、少なくとも人々をバラバラにはしないと思っていた。だから万歳。村で祭りがあると、みんな同じ歌を歌って、同じ安酒で酔っ払った」
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