黄金の未来は目の前にある

僕がOSHOから学び、最近はアズワンから学んでいることは、僕たちが本当に生き生きと暮らしていくには、個人の側から社会を見ていくだけでなく、社会の側から個人を見ていく必要があるし、また同時に、その逆の社会の側から個人を見るだけでなく個人の側から社会を見ていく必要があるということ。

この二つの観点が統合された時に、見出され、立ち現れてくるのが、誰もがその人らしく生きていける新しい社会だということ。

個人の側から社会を見たら、社会というものはなく実際にあるのは個人だけである。社会とは、一人一人の頭の中に、条件付け、マインドとして存在し、共有されているだけでだ。OSHOが一貫して伝えたことは、このことだし、このことの自覚なしには個人の精神の解放、自由はない。

一方、社会の側から個人を見たら、僕らの生活は、全て自分以外の人たちの働きによって成り立っている。食べ物も水も電気もガスも服も住むところも、大勢の人々、社会によって自分の目の前に届けられている。歩くにも移動するにも、道も車も電車も自転車も靴も、あらゆるものが自分以外の人たちの活動によって自分に与えられている。

実際に自分がしていることは、息して、食べて、飲んで、喋って、聞いて、体動かして、出して、寝るぐらい(笑)。

(もっと言えば、それさえも体と脳がしてることで、自分は一体何をしているのか。。。(笑))

そういう社会によって、個人は生かされている。この実際に対する自覚なしには、本当の幸せを得られないだろう。

僕たちが、真実を見出し、真実に沿って、この生を十全に生き切りたいのならば、この両方の視点が必要だろう。

現状の、みんなが幸せを願いながらも、競い合い、ぶつかり合い、人を疑い、嫌いになって、縛り合い、責め合ってしまう息苦しい社会から、誰もが願っている社会を作っていくブレークスルーは、この二つの視点を深め、統合するところに起きてくると思ってる。

自分だけでなく全ての人が幸せになって欲しい、そうでなければ自分の本当の幸せはない、という思いが自分の心の中にある、どの人の心の中にもある、という実際に目覚めていく、自覚していくところに、人に対する希望や思い込みではなく、人の実際を基盤にして、人類は次の社会、理想を、本当に創り出していける。

そして、人の実際、個人の実際であり、社会の実際である人の実際を、具体的にリアルに見ていけるところ、見出していけるところは、自分が日々の暮らしの中で出会っている人たちとの間の実際の、具体的な、人間関係の中にある。

その中で自分の中に起きる様々な考えや感情、実際にやり取りされる言葉や仕草、行動の中に現れている。そこを観察して、人の実際、個人の実際、社会の実際を見出していく。そこが出発点であり、同時に到着地点だ。

アズワンhttp://as-one.main.jp/HP/index.html


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