レベッカ・ソルニット『災害ユートピア なぜそのときに特別な共同体が立ち上がるのか』5

「人種差別と天災の巨大さにあおられ、ハリケーン・カトリーナの後のエリートパニックは異常なレベルに達していた。それが独自の災害を生み出し、カトリーナの被害者たちは危険な極悪人だとみなされ、災害への対応は救出から悪人のコントロールへ、さらにそれ以下へとシフトしていった。カトリーナは災害の連続だった。それは嵐と言う自然現象に始まり、セント・バーナード群とニューオリンズ群の大部分を水没させた堤防決壊と言う明白な自然災害と移行し、次に避難先と支援に対する政府の度重なる失策や拒絶が生んだ社会的破壊へ、そして、地域の、次に州の、ついには連邦当局が被害者を罪人に決めつけ、ニューオリンズを監獄の街に変え、多くの人々に銃を突きつけ、非難を許さず、殺したり、死ぬよう放っておいたりした、言語道断の大惨事へと移っていった。」

「それは1906年に、地震と大火でサンフランシスコの街が破壊された数週間後に、ポーリン・ジェイコブソンが「個人と言う孤立した自己は死んでいた。社会的自己が幅をきかせていた。新しく生まれ変わった街の私たちの部屋で、たとえ四方の壁が再び迫ってきても、きっと二度と以前のような、隣人たちから切り離された孤独を感じなくて済むだろう」と賞賛した喜びでもあった。」

「ニューオーリンズは、無政府、死、略奪、レイプ、暴漢、苦しむ罪なき人々、破壊されたインフラ、形骸化した警察、程度の低い州兵、犯罪的に怠慢な政府計画の混在する巣窟だ。この頃にはすでにスーパードームには数百人の殺された死体が転がり、そこら中で子供がレイプされ、凶器を手にしたギャングどもが通りと言う通りで略奪していることになっていた。人食いの噂まであった。地理的に近い場所にいる人々はこういったホラーストーリーの多くを信じ、それが彼らの恐怖と混乱を増大させた。遠くに住む人々もまた信じた。そして、噂の撤回はあまりにひっそりと、あまりに遅くやってきた。」

「コンベンションセンターにいた人たちは、ちくしょう、見捨てられていたんだぜ。でも、彼らは生き延び、協力し合い、夜を徹して歌を歌っていた。それで、俺たちのところにやってきては疲れてるようだけど、大丈夫かいなんて言うんだ。どんなことをしても彼らを守ってやろうと誓ったよ。」

「彼らは集まって、自分たちの中で誰が銃を持っているかを確認して、自分たちの力でレイプを防ごうと決めたの。スーパードームで女たちがレイプされているって言う噂を聞いたからね。それに、彼らは赤ん坊や老人を守ることを決めたの。赤ん坊にジュースを持ってきたのも彼らよ。水の中を歩いて避難してきた人たちに、着るものを探してきたのも彼ら。お年寄りに扇いであげていたのも彼らだったわ。なぜって、お年寄りの苦しんでいる姿が、ギャングたちの心を1番かき乱すからよ。私の心を1番苛んだのもそれだったわ。お年寄りたちがただ椅子に座ったまま、歩きまわることも、何もできないでいる姿。そのうち、ギャングたちがセント・チャールズ通りとナポレオン通りで略奪を始めたの。あそこにはライトエイドがあったの。彼らは何か面白いものでも盗んだと思うでしょう? だって、メディアによると、ここは"支払い無用の街"だそうだから。違う? ところが、彼らが盗んだのは、赤ん坊のためのジュースや、お年寄りのための水やビールや食べ物や、仲間が一目でわかるように、ユニホーム代わりに着るレインコートだったのよ。それって、とってもかっこいいし、よく考えているなと思ったわ。私たちはまるで動物のように捕らわれの身だった。でも、私は最も意外な場所で、それまでにない最高の人間を目撃したの。」

本書で、レベッカは、繰り返し、「万人が万人と闘争する状態」が人間の自然状態であると信じたホッブスや「群集心理」を信じたル・ボンたちの人間観に、数多くの災害時の人々の行動という事実を拾い集め、疑問を呈した。またウィリアム・ジェームスが発展させたプラグマティズムに即し、ある考えそれ自体が考えとして正しいかどうかをとうこと自体は問えず、その考えを信じた結果がどのようなものになるかを持って、その考えの善悪を判断することを語る。

性善説に立つ人の言動と性悪説に立って考えた結果と性善説に立って考えた結果を比べて、どちらの考えをとるのか、それは一人一人が判断し、決めることだと、レベッカは僕たちに問いを預ける。

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