お互いを苦しめ合う社会は終わりにできる。
OSHOと出会う前から、人間同士が苦しめ合うようないまの社会は終わりにしたいとずっと思ってきた。
OSHOと出会うことで、ブッダやイエス、老子、モハメッドなどが実在の存在であり、何を私たちに伝えようとしているのか、リアルに了解した。彼が実現していた存在のありようは、ただ合掌し、涙を流すしかないような神々しいものだった。
いまでもこうやって彼の存在を思い出しながら文章を書いていたら涙があふれてくる。人間の意識の究極の開花とはどう言うものか、彼はただそこに存在していることで私たちに直接的に示していた。言葉で表現する必要はなかった。全身でありありと感じ、感応し、圧倒され、手を合わせ、あふれてくる感謝の涙を流しながら、頭を垂れるしかなすすべがないのだ。あまりにありがたすぎて。
OSHOとたった一度、二週間にも満たない時間だけれど、出会ってから後は、さまじまな社会的条件付けから一人超越して、OSHOのように意識の光明をえた後に、OSHOのように周りの人にただ存在するだけでその意識の光明を分かち合える存在になりたいと心底思った。
OSHOが肉体を離れた後、OSHOが僕たちに残してくれた光明した意識の精妙なエネルギーが充溢していたインド、プーナのブッダフィールドは、どうやら間違った人たちの手に落ちてしまったようで、現状の社会の雑で荒いエネルギーによって徐々に覆われていってしまった。その後もエネルギーを求めて、30年以上、瞑想、さまざまな技法、手法、秘儀などを試し、会社員でありながら、会社の仕事なんか放り出して(関係者の皆さん、ごめんなさい )、世界中、さまざまな師や教師にも会ってきた。
しかし残念ながら、ぼくはそんなタマではなかった。
OSHOの年齢、いつの間にか越えちゃったし。
ところが、ユネスコ認証の持続可能な社会を作るための教育プログラムGaia Educationを受講するために、そのメイン会場になっていたアズワンと2019年に出会うことで、この社会を、ぼくのような大勢の普通の人が何でも話し合い、聴き合うことで自然な関係性を取り戻せたら、もっと楽な社会へと変容できるという道筋が見えた。
いまはその自分に見えた道筋を、多くの同じ想いを持っている人たちに知ってもらいたいと心底思ってる。
人間同士が苦しめ合う社会を、僕らは話し合うこと、聴き合うことで止めることができるし、もっと美しい社会を作ることもできる。
OSHOに心の中で合掌しながら、この文章を書き記した。ありがとう、OSHO。
アズワンネットワーク鈴鹿
http://as-one.main.jp/HP/index.html
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