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綺麗な人

2022/05/26

 鏡を見るたびに、溜息が出る。鏡の中の自分は、綺麗な人には程遠い。昨日なんて、通りかかったコンビニのガラスに、ボサボサの髪の悪霊が映りこんでいてギョッとしたのだけど、それが自分の姿だと気付いて恥ずかしくなった。それで急いで、美容室の予約を取った。

 私が行く美容室には男性の美容師しかいない。なんというのが正しいのかわからないけれど、とてもクールで良い店だと思う。この美容室に来るのは3回目だけど、まだ慣れることはできていない。でも、控えめな音量で流れる、これもまたクールな(ジャンルがわからない)音楽が気分を落ち着かせてくれる。歓迎されているのかされていないのかよくわからないのだけど(失礼)でも、厚かましくも3回も来てしまった。

 美容師さんに、今日はどうしますか、と聞かれて、ハッとする。そんなことは考えてもいなかった。そういえば、そうなのだ。世の中の人はネットや雑誌を見て、こんなふうになりたいという要望を持って美容室に来るものなのだ、たぶん。でも私はそんなものを見ていないし、見たものといえば自分のお化けのようなボサボサ頭だけだ。その、お化けみたいな髪をなんとかしてほしいというのが本音だけれど、そのまま伝えれば笑われてしまう。お洒落でクールな美容師さんが、大きな鏡越しに私のバサバサでボサボサの髪を見ているのが分かると余計に申し訳ない気持ちになる。なんとか言葉を選び、傷んだ部分を多めに切ってほしい、と伝えた。

 もっと私が綺麗な人であれば、美容師さんも、カットするのが楽しいかもしれない。お客さんのこんなふうになりたいって要望を適えてやることが出来たなら、嬉しいかもしれない。でも、私はそんな要望を持たずに来てしまったし、普段からお洒落に気を遣うようなタイプではないから、美容師さんはきっとつまらない客だ、と思っただろう。

 そんなことばかり考えていると、美容師さんは私の髪を見ながら髪の質や癖、ずぼらな性格さえも見抜いて、カラーはこうして、このようにカットしましょう!と力強く言ってくれた。それに少しだけ驚きながらも嬉しくなって、私はちょっと大きな声でお願いします!と答えた気がする。

 2時間後、私の髪は綺麗に染められて、綺麗にカットされて、お化けではなくなっていた。どうですか、と訊かれて、私は笑顔でありがとうございます、と言った気がする。流石です、あんなお化けみたいな髪だったのに、と言いたかったけれど、それは我慢した。

 私は何もやりたくないと愚痴り、何もかもを放ったらかしにしていた。鏡を見て溜息を吐いていても何も変わらない。綺麗な人でありたいと思うだけでは、綺麗にはならない。明日からは、きちんと化粧もしようと思った。ヤケ食いするのもやめようと思った。綺麗な人になるかどうかは自分で決めること。

 そんなことを思っても、明日にはまた何もできなくなるかもしれない。明日はそれでもいい。今日、私はクールな美容師さんに、ちょっと背中を押してもらえた。すごく嬉しかったし、少しだけ自分に自信を持てた。綺麗な人になるために頑張ろうと思えた。それが大事なことだと思った。

 また2ヶ月後に、あの美容室に行こう。次は、今日よりももう少し自信を持って行こうと思う。

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