リバウンドを制する者
数字は嘘をつかない。そんなことは百も承知。しかし数字を見なければその変動を脳内で自分の良いように誤魔化すことは可能である。例えば我々セールスと数字は切っても切れないものではあるが、ポリシーとして数字は気にしないようにしている。
数字に支配されてしまい自分の人格が壊れてしまうからだ。そうだから自分はセールスという職種にあってセールスではないという自覚が常にある。そして気にしなくても個人としては成り立っているという自負もある。
まあセールスどうこうはただの例えなのでさして重要ではない。ここで書きたいのは見た目のことである。去年の冬に着ていた服がまるで入らないのだ。そうなると去年の夏に着ていた服は入らないどころか別人の物?とさえ思ってしまうほど。
そう私は自分自身の数字をずっと見ていなかったのだ。ちと文句になるが最近の服は良くないよ。どこまでだって伸びるもの。多少ふくよかになろうが、そんなことは最近の服には関係ないのだ。
マックス100キロ時代、当然適正な服のサイズはXLなのだがストレッチが物凄くきいた服だとLでも無理やり切ることが出来てしまう。そうなるとどう考えるか?自分はXLというユニクロだったら最大サイズではなく、Lというちょっと身長高めの人用の服が着れるくらいの体型、まだまだ大丈夫という風に安堵してしまうのだ。
この考え方で私は自分を育てに育てた。数字は基本見ない、気にしないスタイルだから関係ない。服は伸びるからなんとでもなる。そして見た目は鏡で判断・・・これがいけない。人間の目というのはよく出来たもので、鏡に映る自分を自分が好きな自分に微調整して映してしまうのだ。
だからそこの本物の自分はいない。
気づかせるにはカメラというフィルターを通すしかない。私はそれで気づきを得た。カメラに写った私は想像を絶する肥え方をしており、私じゃない私じゃないの、当たり前だけどね、SOS・・・。
落ち込みに落ち込んだ。もうどうにでもなりやがれとさらに自暴自棄となり毎日暴飲暴食を繰り返すこともあったが、そこは美容メーカー。作ればいいじゃないか作れば。巷に溢れる楽して痩せるやつを作っちまおう。それまでその類の物に何度騙されたことか。そんな記憶は腐る程あるが、自分で製造に携われば騙されねえだろう!と一念発起したのだ。
懇意にしているボディビルダー(フィジークチャンピオン)に協力要請をし数々のテスターを自身のBODYで試しながら完成のこぎつけた燃焼系サプリ。特別ハードな運動はしてこなかったが、サプリをやろう!そう考えた私のメンタルは大きく変わり体重も25キロ減という結果を出した。
その頃、鏡に映る自分はいつも太って見えた。数字を気にし出して常に把握していて減少していく数字を知ってはいたがそれでも太って見えた。どういうことか理解出来なかったが痩せたいというある種強迫観念のようなものが私の目を濁らせていたのかもしれない。
しかしカメラは常に真実を写す。
そこに写る私はまたもや別人のようになっていた。やった!やった!それはそれは喜んだ。ユニクロならMでも、なんならSでも着れるようになっていたし、痩せすぎて心配と私からすれば嬉しい声もたくさんいただけるようになった。
さて、あれから半年。
私がどうなったかというと想像通りリバウンドをしてしまったのだ。とはいえ飯を食わない減量をしていたわけではないので一瞬で元に戻ったわけではない。ただただ調子に乗ったのだ。デブの大食い、これは当たり前の話だろう。阿南はデカイからよく食べるよね。なんの称号にもならない。
しかし普通体型になった自分が100キロ時代と同じ量を食べたらどうだろうか?皆は言った「凄いね!」「見ていて気持ち良いよ!」胸が踊る日々の連続に腹は揺れるようになった。そして・・・この文章の最初の方に戻るわけだ。
数字は気にしない、最近の服はよく伸びる、自分を誤魔化し偽りの毎日だ。そして昨日気づかされた。同僚二人と並んで動画を撮影していたところ、あからさまにデカイのだ。身長が高いだけならいい、縦長はいい。
でも横にもデカイ、いや横にはデカすぎるまである。自分自身にだからどんなに汚く罵ってもいいだろう?「このクソデブ野郎」はなんだ!何者だ!それでいて「コイツは何故に堂々としているんだ」恥を知れ!そう思った。
撮影後、とても落ち込んだ。気がつけば溜息ばかり、現実はいつだって残酷なのだ。だがここで立ち止まるわけにはいかない。私にも明日はやってくるわけで、どういう明日を迎えるか真剣に考える絶望的な機会と捉えるしかない。
ここを制してこそ真の漢になれるのだと私は思う。
わからない人にはわからない世界かも知れない。知らなくていいことだと思うが、知ってて損なことではないと思う。リバウンドを制して私は王になる。そんな志を持った四月下旬であった。