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ルービックキューブの様だ

まだ芽吹きのタイミングではないよねと、土の中で眠っていたみんなが「あれ? 何? もう春? 出るの? 出ないの? 出たの?! 聞いてないよー!!」と、残雪の残る様な土の中からも「出たいよー!!」と声が聞こえてくる様です。

タイトルの「ルービックキューブ」について少しお話しします。

我が夫リーディングマスター・まさみちさんは、カウンセリングなどで、家(建物)=を心として表現することがたまにあります。
「家(心)を建て直すには、まず仮住まいに心を移し替え、基礎も調べ、ぬかるみがあるなら奥深く岩盤まで基礎の支柱を立てたり。内装もそう、新しい壁紙に張り替えるだけでなく、壁を剥がし虫喰いだらけの柱が見つかったなら新しい柱を建てるなど、全部造り直す必要があったりもするよね。」なんて伝えてたりもします。

私はというと、心ってルービックキューブみたいだなって思うのです。

正面(前面)の色が整っていればなんとか社会生活が成り立つものの、家に帰ればそうではなく。

外では決して見せない側面や背面などの揃っていないところが気に触ったり気に触られてしまい。家族間で指摘しあったり、改善してくれないからと距離を取ることもあるのではないでしょうか。

これは無意識だと思いますが家の中では「正面の顔=外面」を見せるというよりも、「あなた」の前で気を許したくて、リラックスしたいがために揃っていない面をわざわざ出したとしても「その心でもくつろいでいいよ」と許してもらいたかったり、安心を得たいがために「揃っていない姿」を見せてしまう。

端的に言うと、心の自然治癒をしたい訳です。

ですが、その自然治癒の為に見せられる傷だらけの心の自動反応を「家の中でも仕事相手や友人に対して見せるような優しい姿、出来た姿でいなさいよね」と否定感や拒絶感を抱き、私には理解できないものとして捉えてしまう。

我が子なら許せる様なこともある。しかし自分の半身であるはずのパートナーとは「血のつながりがない」し、育った環境が全く違う者同士。だから無意識に「家」対「家」で衝突している。

その衝突が分かっていて、やめたくてもやめられない心は「自分の家の考えが正しい」「両親など、目上を大事にしなければいけない」と無意識に働いてしまうのでパートナーとのコミニュケーションを良好にしていくには、

「相手の育った環境=揃っていないと感じてしまう色や面など、全部受容すること。『私だったらそうしない』と否定で終わらせるのではなく、『同じ過去世や同じ境遇で同じ立場だったら私でもそうする』と相手の背景を想像し共感する。相手の場所に立ち夫婦の両足を揃えてから一緒に立ち位置を変えていく。」

その全受容ができて、やっと、自分たち夫婦のオリジナルの真心で生きる道を歩めることになるのです。

それはルービックキューブの色が合っていた正面さえも全解体する覚悟やパーツをズラす覚悟がいるのです。実際、並大抵の覚悟では出来ないことです。

そして私たちが気づかなければならないことは、改善するしか道はないということ。

みんながみんな「嫌なら離れればいい」という知識しか持っていないと、かつては最愛の人と思っていたパートナーとの良好なコミュニケーションが取れなくなる人が後を経たなくなることが想像つきますでしょうか。

しかも、側面や背面や底面、上面などは家族の心だったりすることもあるので、自分というルービックキューブを整えようとすると、下で支える子や妻、上に立つ親や姉など、家族にも何かしらの変化がもたらされます。

その変化が歓迎される時もあれば、歓迎されない時もままあります。

上は上でいたいものです。
親は立派でありたいものです。
優しい、弱い子は上に立てなくても下でみんなを支えたいものです。

みんな役に立ちたいから。

役に立たない自分は嫌だと、(実際には役目を自在に変えるだけだったりするのですが)変化を拒む心が働くのです。

色が揃っていない面をパートナーや友人、知人、上司や部下、親や子、先生に投影する心を「それも私だったね」と統合して無に還していくことが、人生の学びにおいて不可欠なのですが、変化を嫌いやすい固定化した心→例えば「姉ってこうだよね」とか「お父さんってこんな人」、「これだから末っ子は」、「出来もしないくせに口だけは偉そうだ」なんて思っていたのが、実は自分の心のパーツが相手に行ってたなんてこともあるので、いつでもどの様な時も見るのは「私」の影(または自分の美しい部分)だったりもするから大混乱。

仕舞いには「家族といえど自分は自分、他人は他人(ひとはひと)と、正面(私)さえ色が揃っていたらいいや」と思っていたのに、なんとなんと残念なことに正面さえも全部同じ色ではなく、シールを貼ってさも同じ色の様にしていただけ、整っているつもりになっていただけ。

そんなことに気づいてしまったら、一体全体私ってなんなんだ? となる訳です。

大パニック!!

でも、ここから「私を知り、私を救う旅」が始まる訳です。

ルービックキューブの色が揃わない状態から全面の色を揃えて行こうとしてもそこは迷宮の様な混乱の世界。

まずは混乱の中から脱出する=浄素(ヒーリング)をし、ルービックキューブ(心)を外から眺め見られるようになってから、面の色を一つ一つ合わせていくのですが、知れば知るほどに「あの心もこの心も私ではなかった。」逆も然り「あの心もこの心も私だった」となり、「私って何者でもない」と言うことがわかってきたりします。

自分や自分の映し出す世界を整える道に入ることは、まずは6面全部を揃える道しかない=家族の心も同時に整えることだとわかるようになるのでした。

そして実は実は、友人や知人とも心は繋がっていて、あちらのルービックキューブの側面にも自身のパーツがあったり、こちらのルービックキューブのパーツになっていたりと揃えなければいけないルービックキューブは1つではなく、世界中の人の数くらいあることがわかってくるのです。

...途方もないですね。

でもその途方もないようなことをコツコツとやることで世界が平和になると歩いているのが夫リーディングマスターまさみちさん(と、私)です。


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