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30号のキャンバス、 あの日の縁側
学校へ行きたくない理由はたくさんあったけれど、生真面目な性格だったからほとんどの日は学校へ行った。それでも、一年に一度はどうしても行きたくない日があった。
その日は突然やってきた。どんなに自分の機嫌をとってみても、行くための理由を並べてみても、起きた瞬間に「休み」であれば、それは絶対に覆らなかった。
頭が痛いとかお腹が痛いとか、見えすいた嘘をついて「休む?」の一言を待っているわたしに、母親は疑いの目を向けながら、仕方なくおばあちゃんの家にわたしを預けて仕事に行った。
おばあちゃんの家は古い平家で、日向には長い縁側があった。縁側には使われなくなった長火鉢があり、その隣におばあちゃんが羽根布団を敷いてくれて、わたしたちはそこで一日の大半を過ごした。ほんとうは具合悪くないんでしょう?と言いながらすりりんごやおかゆを食べさせてくれた。
おばあちゃんの家にはたくさんの本があったけれど、その多くは小学生のわたしにはむずかしいものだった。その中で自分が読めそうなもの(「窓際のトットちゃん」や「空飛ぶ猫」など)を縁側に持っていった。
縁側はほんとうに日当たりがよくて、窓ガラスを突き破った直射日光がこれでもかというくらいに燦々と降り注いだ。
ずる休みをしたわたしを肯定するみたいに布団はふかふかで、太陽は目を閉じてもまだ眩しい。朝の憂鬱をかき消してくれる本の中の物語、隣にはだいすきなおばあちゃんがいる。
六年生になって、通っていた絵画教室では、卒業制作として30号の油絵を描く時期になった。30号といえば、当時のわたしが手を広げてやっと届くくらいのサイズだ。
実物を見たときはあまりの大きさに驚いたけれど、わたしは六年生になる随分前から、描くものが決まっていた気がする。
あの日の縁側。
光が降り注いでいる様を表現したいと言ったわたしに、先生が教えてくれた。黄、白、茶、緑、赤。あそこに存在したすべての色を、白いキャンバスいっぱいにパレットナイフで塗った。そして、その上から自分とおばあちゃんと縁側を描き、最後に表面をペインティングナイフでがりがりと削った。
いろんな色が出てきて、絵に光が差した。
立体的な絵の具のかたまりは歪で美しかった。ぼこぼことした感触を鮮明に覚えている。
ここ最近の、しつこく照りつける太陽を感じてふと思った。
いま、30号のキャンバスを渡されたらわたしはなにを描くんだろう。
おそらく、何日も何日も考えて下書きを描いては消し描いては消し、練り消しのかすだけが大きくなり、それでも描くべきものが見当たらない。
オブジェと化したキャンバスは、クローゼットの奥深くにしまわれる。
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