何者にもなれないではなく、何者か宣言する

 SNSなんかをやっていて、そこでフォロワー競争を始めたり、影響力を出そうとすると、どこかで壁にあたり何者になれていない自分を呪うことがある。

特に最近、Youtubeなんてやってると性質上似たり寄ったりのコンテンツになるから、結局は「誰がやってるから見る」ことで選択されたりするわけだ。そうすると"誰か"というラベルが付いてるほどあるほどファンが付きやすいし、説得力が増す。だがその反面、敵ができたりもするが。

またネットのお陰でナレッジがシェアされまくった結果。これまで秘匿されているような㊙知識も引き出し上の経験が教則化され、だれもが簡単に学ぶことができるようになった。

こんな世界では、何にでもなれることができる反面、選択肢が多すぎて何を選んでいいかよくわからなくもなっているんじゃないかな?
普通でいることが許されないし、優柔不断には世知辛い世界だ。


 芸人さんや有名人になると自分は何かをすぐ語る必要があったりする。
お金は一切稼いでいないけど養成所に入ったし「芸人と名乗ります。」ぐらいの気概で自らの手で私はこれです!と名乗るのが良いのかもしれないと思う。いわゆる、まずはポジショニングを取るということである。

そう考えると、
何者にもなれないと思ってしまうのは、選択と覚悟がないからかもしれない。
例えが悪いかもしれないが、こんな命かけなくてももっと気軽に私は「これだよ」と適当に言ってしまえばいいじゃんということを言いたい。


でもこれまで器用貧乏でやってきた人間は、ポジショニングを取るのが怖い。

ポジションを取るというのは、他の何かになる可能性を捨てるかのように諸刃に見えてしまう。例えば、世間にあの人は「ロックの人」と認識されてしまうと、その後ラップが好きだからって、HIP-HOPやれないでしょうと思ってしまう。そう、


そう思ってしまうんだけど、

実際は、どうなんだろう?

(誰か教えて)


スギちゃんが売れた後、スギちゃんでいることに疲れて別のネタをやりたいと考えていたが、結局世間の求めているのはワイルドスギちゃんだったという葛藤を聞いたりすると、なおさら怖くなる笑。

でも一旦何かを掴んでしまうと、他のことも掴みやすくなるのではないかとも思う。
サッカーでポジションチェンジしても、前の動きや知識が活かせるみたいな。色んなことをやってきた人間は、選択肢が多すぎてそこから選び取るのが怖くなってるだけだ。


何者にもなれないなぁと考えている人は、
「やるものがない」ではなく
ただ選んでいないだけかもしれない


人生において、(良い意味で)捨てることができる人は
生きやすいのかもしれないなー。

行き方を選んだ人は、誰かに叩かれたりバカにされたりするのかもしれないけど、そんな生き方、尊敬します。

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