2年ぶり2回目!欅坂46の東京ドーム公演に行ってきたよ!
欅坂46のライブを見るのは、2017年の欅共和国以来二度目になる。
東京ドームというキャパシティのおかげもあってか一般でチケットが取れました!
今回は夏から行なわれているアリーナツアーの追加公演として東京ドームが発表されているが、「アリーナツアーin東京ドーム」という謎のタイトルが冠された本公演。「いや逆じゃない、ドームが本公演では?」とツッコミしたくなるのはさておきその恩恵でチケットが取れているのだから、いつもライブに行けないファンとしてはありがたい限りです。
AKBは結成当初から東京ドームを目標にしていたし、それを追っていた乃木坂もある種の目標点であった。日向坂ですら「約束の卵」という曲とともにうっすらとドームでやりたい節が見えるのだが、欅坂だけはそのストーリーがなく、界隈のグループとしては限りなく関係性が薄い。
だからリリースもない、ポジティブなニュースもない、アリーナでもない!?と考えると、「なんでここでドーム?」というのはシンプルな疑問ではあった。
少し押してから、ライトが落ちるとサイリウムで会場が緑に染まる。ロックのライブでこういったことはあまりないからステージに立って見ると僕らには想像もできない。このサイリウムの色を手動で変えるというのがアイドルのライブでの良い双方向の体験参加型になっていて、アーティスト側の演出ではなく、逆にファン発の表現であることが面白い。
平手ちゃんの静かなコンテンポラリーダンスから幕を開けて、Overtureで大きく会場のテンションが上がるのだが、オープニングの曲〜ダンスの4連発の流れはせっかく盛り上がった気分が上がったり下がったり安定しない。30分ぐらいこれがだらだらと続く。
自分が一番上の一番後ろの席だったというのもあるが(後ろは壁)、ドームでの演出は大雑把ぐらいでいいと思っていて、細かい演出をいれると全体から読み取ることが難しくなる。
裏事情まではわからないのだけど、曲の合間に演出が入ることが多く見てる側としては少々胃もたれする。
特に欅坂にとってTAKAHIRO先生の存在もあり、ダンスが重要なファクターなのはわかる。ただそれをドームでやるべきかは、正直ちょっとわからんという感じ(序盤からドラムソロを見てる風といえばいいのか)。
最初のMCでは、しーちゃんの早めに開いてしまったパラシュートが着地点を見失ったようなふらふらしたトークに「さとみつさんまだ一区ですよ」「いや、もうライブ終盤かっ!」と心のツッコミは止まらない。1期のMCはこれだけだったので、そんな雰囲気になってしまったのかもしれないが、オープニングからいい感じでしっとりし始めるw
MCを挟んでからは「世界には愛しかない」にはじまり、初期のかわいい系の曲が続く、この曲は広い会場で聴くと、どの曲よりも素直な気持ちで聴いていられるアイドルソングで不思議と盛り上がる。
菅井様の台詞回しはストレートに感情が伝わってくる抜群の表現で、庶民の気持ちを晴れやかにしてくれる。
ここからは曲と曲のつなぎがよくテンポよく次の曲が始まるので、見ていて楽しくなってくるゾーン。
欅坂は元来曲がいいのだから、これぐらいシンプルに曲中心でいい。
とにかくアイドル的表現が少ないなかで、よく見るフロートもないが「青空が違う」だけは、気球に乗ってアリーナより遠くの席にまで近づいてきてくれる。ちょうど自分がいる前のところで気球が下に下がってしまったのは笑うしかなかったが。
終盤に向かっていくにつれ、どんどんと欅坂らしい曲につながっていき「サイレントマジョリティー」からの盛り上がるシングル流れそのままに最高潮の状態に持っていく。「風に吹かれても」「アンビバレント」などの新しい曲はライブは初めてだったので、澤部さんの「あれ、盛り上げるもんねぇ」というのをようやく理解できた。
「アンビバレント」は個人的には大好きな曲。
アンコールになると、ファンは「けーやきざかー フォーティー シーックス」コールを繰り返す。
もうほんとびっくりするぐらい、すぐにだ。その高い熱量に当てられると人は嘲笑するか、敬服するかしてしまうが、あれだけ熱意を持つことができるって素晴らしいと思う。アイドルのファンは本当に熱い!
ドームぐらいの大きさになると、全体で合わせるのはもはや不可能なので、
そういう現象がいろんな箇所で多発的に起きている。会場が緑に染まる。
なかなかメンバーは出てこない、沈黙からの爆発。
アンコールの「不協和音」はファンの中ではいわくつきの曲だが(いまいち理由はわからないが)2年ほどライブでやっていなかったようだ。
欅の中で一番好きな曲だし、復活 ”葵タワー”が上がった時はさすがにテンションが上がる!
最後の平手ちゃんの曲「角を曲がる」は、すいませんこれ知らなかった…。
まさか9th!?と思った自分が恥ずかしいw
この曲は、人によっては「まーた平手かよ」と思った人もいるだろう両論のある選曲だと思う。
今回は全体的に見ても、怪我から帰ってきた平手ちゃんフォーカスのセットだったと思うが、ドームの最後の曲にこれを用意したのは、なにか特別なものを用意したかった運営が頑張ってひねり出した末のプレゼントだったのかもしれない。
(とか思ったら、ドーム公演の数日後あっさりPVを発表したので、映画「響」からなぜここまで溜めていたのかはわからない。)
一応、ツアーの最終日なわけだし最後に「W-KEYAKIZAKAの詩」で大団円みたいなのあるよね?と思ったんだけど、それをやらずにこの曲を披露したのはなにか演出的意図があったんだろうか?ただ平手推しの人には見どころ満載のライブだったと思う。
これまで平手ちゃんのソロ曲ってあまり好きではなかったのだけど、はじめて聴いたのが、このタイミングで実によかった。
二人セゾンの美しさ、セカアイのポエトリー、サイレントマジョリティーの世界観。
欅坂の好きになる要素がいっぱいに詰まったような美しい曲で、ぜひ9thのTYPE-Aに収録してほしい。
平手ちゃんの「ありがとうございました」という挨拶とともに間もなく「本公演はこれにて〜」の放送が入る。
曲数的にもはや大満足だったけどオープニングからここまで演出まみれにしてきたのに、クロージングは余韻も残させず現実に戻してしまうのは、なんだか不思議な感じだ。
あとになって冷静になってみると、アンコールが止まらないからあえてこういう終わり方にしているのかもしれない。
いまこのタイミングは欅にとってはある意味面白い時期で、グループからひらがなけやきの独立、ねる・ずーみんなどソロ曲を持っていた人気メンバーの卒業が重なりアイドルとしての多様性が表現しづらくなった。
逆に言うと、ライブとしては欅坂全体としての表現がより一本化して表現しやすくなっているように思う。
とここまでライブを見ていた当初は他のアイドルと比較して、欅坂ってこうあったほうよくない?という期待や押しつけみたいなものを、少なくとも持っていた。
数日経って文章を書きながらセットリストや「角を曲がる」を聴いて振り返ってみると、欅坂のいうだれかに押し付けられたものじゃなくて「自分らしく生きろ」というメッセージを遅くなったがようやく受け取った。そう考えられるようになると、他と比較するのではなく「彼女たちの表現はこれでいいんだ。」とポジティブに受け取ることができたというのが、この公演を見た大きな収穫だった。
”これからの時代を象徴していくのは、誰かの意図でその役を演じている人よりも、しっかり自分の魅力を理解している人だ。「何者かになりたい」という答えは、意外と自分の中にもう、備わっていたりするものだ。”
ー 「女子高生も、芸能人も、起業家も、みんなが彼女の噂をする。菅本裕子 23歳」より Text by 塩谷舞
アイドルという枠組みをうまく利用して、その枠組や先入観からなんとか逃れようと藻掻く欅坂は、この時代にもっとも共感されるヒロイン像を持ったアイドルなのかもしれない。