独り者にソロキャンプの薦めぬ。
キャンプの女神である志摩リン神はかくもこう言われた。
「ソロキャンプは寂しさも楽しむものだよ。」
そう、ソロキャンプとは孤独を楽しむものであるとも言える。
そもそも私はアウトドアやキャンプが別に好きなわけではない。
災害用品と併用するという心算もあって流行りに乗っかって、今の内に準備を進めちゃおうという。
じゃあ、ついでにキャンプも行っちゃおうと言う魂胆である。
このコロナ禍の中で、独身どもは毎日をどのように暮らしているのであろうか。日々、引きこもりのような生活をして孤独を満喫していないだろうか?
そうなると、もはや毎日がソロキャンプみたいなもんじゃないですか。
そういう人はソロキャンプに行ってはいけません。
この前、キャンプと言っても特に行きたいところがあるわけではない自分は、ゆるキャン見たそのままに伊豆・ふもとっぱらまで足を運ぶことにした。
自宅にまとめて置いておいたと勘違いし、見事にコップや寝袋を忘れてしまい、6月だというのに高原の寒さを身を以て味わったわけだが(死にかけた)、一人支度を整えて車で移動を繰り返した後キャンプ上に到着した。
キャンプに行っていつもびっくりするのが、夜の暗さである。
焚き火をしてランタンを2つほど持っていったのだが、夜とはこんなに暗かったのだろうか?と体感する。
あまり人がいないだだ広い高原の中で、ポツンと佇んでキャンプをしていると、焚き火の微かな灯りと不相応なLEDがそれに抗おうとする。
自分をすっぽりと包み込んでしまうような暗さに、怖いという感情が芽生えてくるのだが、その普段感じることのない重苦しい黒がさらに、孤独感を高めてしまう。
寂しさが必要以上に高まってくると、手にしてしまうのはスマートフォンという文明の利器。ネットの世界は世界に張り巡らされたフォクダンスの輪のように、誰かに繋がっているような気がしてしまう。
普段の生活で家族や、同僚や仲間などとのコミュニケーションが多い人がソロキャンプでリフレッシュすることができるのは、そこがサードプレイスならぬ、フォースプレイスとなるからだろう。
喧騒から離れてリフレッシュすることができるのは、普段喧騒の中にいてコミュニケーションにうんざりしている人だからこそできるわけで、
そこで寂しさを溜め込んで家族や仲間の元に戻っていくことで、改めて周りにいる人たちの大切さを実感することもできたりする。
普段の生活で、”ソロ賃貸”やってる奴がソロキャンプをやってしまうとさらに孤独感を泣くレベルにまで高めてしまう。アウトドアが趣味じゃない人にはオススメできない。
昔、そんな一人旅行に嫌気が差してひとりで団体ツアーに申し込んだんだけど、まわりの家族で来ている人たちと仲良くなって、旅行の中での出会い生み出せたりして楽しかったりする。
共感できる人は、コロナが落ち着いたらぜひ試してみてほしい。
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