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東日本大震災のこと

昨日であの日から12年。
カバーの写真は、全く無関係のどこか旅行したときに撮影した太陽。
なぜだかわからないけれど、この写真をアップしたくなりました。
真っ暗闇から少しずつ光を取り戻したイメージなのかな。。

あの日、私は大阪にある職場でチームミーティング中だった。
とても古い建屋で、不気味にゆっくりと長く揺れて。
その場に居合わせた人たちは、全員が全員めまいだと思いこんでいたのだけれど、流石に長くて「もしかして揺れてます?」という誰かの一言でそれが地震だと気づいた。
揺れがおさまったら、状況を確認するために上司が退席。気持ち悪かったよねと口々に話していると、目の前にいた学生時代に地震の研究をしていた若手女子が「このタイプの地震は、どこかでかなり大きな揺れが来たはずです。危険です。」と今起こっていると見られることをとめどなく語り始めた。普段は比較的物静かな彼女が、急にただならぬ雰囲気で話し続ける様子に圧倒されつつ半信半疑で話を聴いていたら、今度は上司が血相を変えて戻ってきた。
「えらいことになってる。大変や…」
残念ながら、若手女子の見立ては、驚くほどに的確だった。

当時、私の夫は、東京で単身赴任していた。
どうやら東京もかなり揺れたようだとのこと。
慌てて席を外し、夫の携帯に電話を掛けた。
電話が繋がったのかメールだったのか何故か思い出せないけれど、かなり揺れたけれど東京タワーのそばに避難して無事とのことだった。
その日は金曜日で、久しぶりに関西に帰宅予定だった。
結婚以来、出張や単身赴任で家にいることのほうが少なかった夫が立ち寄り先で大きな地震に遭うのは、実はこれが初めてのことではなく、今までも肝を冷やす経験はいくつかあったので、根拠なく「夫が災害で致命的な被害にあうことはない」という根拠のない自信を持っていた私は、この時点ではなぜか夫は普通に帰宅すると安心してしまった。
でも、そんな訳もなく、夫は赴任先の自宅への帰宅すら危うく、何時間も歩いて帰る羽目になった。
関西に戻れたのは、数日後のことだった。
元気そうな顔を見てホッとしたのはつかの間のこと。
翌日には東京に戻らなければいけないと。
当時はまだリモートワークも浸透していなかったのでやむを得ないことだったかも知れないけれど、まだ余震が続き、テレビでは、原発の危険な様子が映し出され、東京も放射線が‥など報道されている中で、関西に家族がいて、関西に本社がある会社で、別に関西でもできそうな仕事なのに、なぜ東京に戻らなければいけないのか心の理解が追いつかず、悲しくて悲しくて仕方がなかった。
できることは、東京で困らないようにと必要そうなものを見繕って用意して託すことだけ。
「夫が災害で致命的な被害にあうことはない」から大丈夫だと念じつつ、事あるごとに夫にも当時高校生と小学生だった娘たちにも出会う人にも言い続けて過ごしていた。結局は何も起こらず無事に乗り越え、不安な気持ちも少しずつ消えていった。
いま、日常の中であの頃のような不安を感じることはなくなったけれど、あのときに受けた傷のようなものはまだ心の奥底にそっと残っていて、ふとした時に顔を出す。きっとずっと消えないのだろう。
12年前のあの日、私達なんかよりもずっとずっと壮絶な体験をされた方々は、きっともっと深く大きなものを抱えていらっしゃるんだろうな。抱えているものはなくならないかもしれないけれど、一人でも多くの方が温かく明るい陽の光がさすような穏やかな日常を取り戻されていますように。

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