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anagonの日記 11/14

はじめに

こんばんは?おはよう?
皆さんはいつも何時に寝て、何時に起きているのでしょうか。
僕は基本朝の4、5時に寝て、13時に目覚めます。
朝とは?って感じです。

さて今日も書きます。

①今日あったこと

今日はなんと夕方16時半に起きました。
外がもう暗くて笑いました。
なので今日は全力でおやすみする日と決めて、太鼓の達人をやりまくりました。
その後、夕飯を食べながらビールを飲んで、テレビを見て、部屋に戻って映画「娼年」を見ました。
映画が見終わってYouTubeを見て、こんな時間になりました。

②今日思ったこと

1.明日からがんばろうって思ってもいいじゃんって話
明日やろうは馬鹿野郎とか、今日あなたが適当に生きた時間は、誰かが生きたかった時間とか。
あの辺の言葉は別に言わんとしていることはわかるんですが、
それで心が焦って休めないと、ただ無下に焦る無駄な1日を過ごす馬鹿野郎になるので、僕はもう今日はダメだと思ったら、休みます。
で、なんかやる気出てきたなあと思ったら、頑張ります。

明日がんばろうって思ったことを明日必ずできるかといえばそんなこともないけれど、明日に何かをほっぽってしまって、一日まじで寝るだけ、何もしない!という日を罪悪感なく過ごすことはすごく大事だと思います。

とにかくどんな自分にも罪悪感を感じないこと
なんでこんなことしてるんだろうなあとか、自分って本当にダメだなあとか、思っても何も意味ないし、自分を許せない奴が他人を許せるわけないので、何よりも自分を許すようにしてます

これはスピリチュアルな友達めありいの言葉なんですが、
愛するというのは、自分と世界を許すこと、そしてその世界が愛でできていると知ること」なんだそうです。
今目の前に広がるどんな世界も自分が作り出した世界で、そこにいる人もある瞬間の自分(未来か過去のある瞬間の自分)なんだそうです。

だから、誰かを愛そうとすることは、結局は自分を愛すること、自分を許すことになるわけですね。

何言ってるんだ?って思う人は、一回めありぃに会ってみてください。
正直僕もスピリチュアルな世界を信じるタイプではなかったですが、色んな猜疑心を一旦捨てて聞くと、すごく面白いし、その考え方を持っていることでマイナスなことはないなと思ったので、素直に信じてます。

話がずれましたが、まあそんな感じで、自分を愛して初めて、誰かを本当に愛せるようになれるなと思ったので、僕は自分を許して愛すようにしております。

2.官能とはなんだろうって話
今日見た映画「娼年」は、簡単にいうと女性はつまらん、セックスなどただの運動とほざく無気力男子大学生がとあるきっかけで、娼夫になり、性の世界や女性について知る中で、過去の自分と向き合って、変わっていくという感じの話です。すごく雑な説明なので、気になる人は見てみてください。

前に本で読んでいた作品で、とても面白かったので、映画も見てみたのですが、正直映画自体の感想はまあそうなるよねって感じでした。
松坂桃李の演技が良かったんですが、濡れ場(映画の半分以上濡れ場)のシーンがちょっともはやこれはAVでは?って感じで、欲しかったものと違う感じでした。

僕は結構こういうなんかドロドロした肉欲とか性欲を扱った小説や映画をよく見ます。
僕自体ほとんど性体験がないので、こういう作品はある意味ファンタジーのようで僕の中では非日常だけど、誰かにとっては日常で、そして動物の誰もが持っている欲望の奥深さを知れる唯一のジャンルなんです。

そんな作品ばかり見ていると、果たしてエロと官能の違いはなんだろうと考えたりします。
結論から先に言うと、エロ(ここで僕の言うエロはAVなどのような「大衆的に消費されるエロ」)と官能的またはエロティックの違いは、「文学的」であるか否かだと思います。

AVなどを見ると、まあムラムラする(性欲が盛り上がる感じ?)わけですが、
官能的な映画(最近見た映画で言うと蜷川実花監督の「人間失格」とか)や小説は見ていても、ムラムラはしないわけです。

じゃあ文学的とはなんなのか?これは多分一つの定義があるわけではないと思うので、あくまで僕の考えですが、官能的な作品における文学性は
「ノンフィクション的」であることと「趣のある感情的表現」があることで成り立っていると思います。

「ノンフィクション的」というのは、そう言ったシチュエーションに誰もがなり得る可能性を秘めているということです。
AVは多分まっとうに生きていたらそんなシチュエーションにはならんという、フィクション的な作品です。
それと違って、官能的な作品は、どこか自分の生活と複数の接点があり、ノンフィクション的に捉えることができる
自分もそうなり得るかもしれない、そう言った感情になり得るかもしれない、そんなことを思わせてきます。

「趣のある感情的表現」というのは、まあ簡単にいうと芸術性のある感情表現だと思います。まあ「いとをかし」と自分が思うならそれはもう文学的で趣があって芸術的だと思えばいいと思ってます。
AVに感情表現は見えてきません、見えても「気持ちいい」とかそんなもんです。あとはジャンルによってはもっとえげつないのはあるでしょうが。
官能的な作品は、小説はもちろん映像作品や写真でも、その人の感情が見えてきます、そしてそれが言葉や映像となって比喩的に伝わってくる。そこが官能的な作品が、官能的たる理由だと思います。

さて、こんな風に対して性体験もない奴が、つらつらと書いた童貞臭い文章にも皆さん飽きてきたと思うので、これくらいにします。

とりあえず、僕は官能的な作品を一度でいいから作ってみたいと思ってます。


③今日の一押しmusic〜中島みゆき「ファイト!」〜


中島みゆきさんの「ファイト!」は、色んなアーティストがカバーしていて、色んな方の背中を押してきた、応援歌中の応援歌だと思います。

ただこの曲、Aメロになかなかの衝撃的な歌詞があって、それが

「私、 本当は
目撃したんです
昨日電車の駅、階段で
ころがり落ちた子供と
つきとばした女のうす笑い
私、驚いてしまって
助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました
私の敵は 私です

という歌詞。
これだけ人気な応援歌の中で、こんなシチュエーションを限定するような歌詞はこの曲以外で今のところ見たことがないです。
結構応援歌って、よりたくさんの人の背中を押すために、個人的体験みたいな歌詞はあんまり入れないんですよ普通。

でもこの曲は違う。

なんで中島みゆきはこんな歌詞を入れたんだろうと思った時に、憶測ですけどきっとこれは彼女の体験談なのではないかと。そしてこの曲は多分他でもなく、中島みゆきが自分のために「ファイト!」と歌っている曲なんじゃないかと思いました。

今日「自分を愛せなければ、他人も愛せない」って話を書きましたが、それと一緒で、自分を応援できなければ、誰かを本当に応援することはできないんだと思ってます。

僕も応援歌を書く時は、自分にむけて書きます。
歌いながら自分に対して歌って、それが結果、誰かに響いてる

中島みゆきさんと自分を同じ扱いをするのは大変恐縮ですが、
でもそういうことだと思います。

自分を鼓舞するために自分のために歌っている曲だからこそ、その曲を聞いただれかがその思いに胸を打たれて感動する。

僕は本当にしんどくなった時にこの曲を聴くようにしてます。
ぜひ、聴いてみてください。

https://youtu.be/WJVcTnGfeWg


終わりに

今日も読んでくださってありがとうございます。
ここに明日やることとか書いたら、人に言ってる手前やらざるを得ないんじゃないかと思い、書いてみます。
明日は僕はコメダ珈琲に行って、色んなたまった仕事をやろうかなと思っています。
明日の日記で果たしてちゃんとやったのかどうか確認してみてください。

僕の思ってることに、何か意見を持ってる方はぜひ教えてください、話してみたいです。


それではおやすみなさい。

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