
anagonの日記 11/11
はじめに
今日の写真は、2年前に学群(他の大学でいう学部)の大学説明会委員会のキャンパスツアー部門長をしていた時のものです。多分19歳?
今日はかなり投稿が遅くなりました。というかお気づきの通り僕がこの日記を書くのは実質翌日の2時とかです。なので毎回今日とか言いながらもう次の日になってます。
今日は、ポッキーの日であり、チンアナゴの日であり、ベースの日です。
ポッキーは普段食べないのでどうでも良くて、アナゴンという名前柄、チンアナゴの日であることと、ミュージシャンという職業柄、ベースの日というのが大事な日です。
さて今日も書いていきます
①今日あったこと
昨日のDEMODAYでだいぶ疲れて、ゆっくり寝ようと思っていたけれど、昨日の夜に、ペルーA日程(僕はB日程)のMTが急遽朝7時からということで、大地さんの代わりにMTに参加した。
目覚めて1分で、スペイン語が飛び交うMTに参加して、もう意味がわからなかったけれど、ペルーの子どもたちが可愛かった。
そこから大学に行くまで後3時間は寝れると思い、二度寝へ。
3時間後に起きて、そう言えば今日全学休校じゃね?と授業の予定表を確認したところ、今日は授業がないみたいだったので、めちゃくちゃ嬉しくなって、三度寝した。
起きたら16時半だった。ワロス。
そこから19時まで、歌を歌ったり、ウダウダしてから、北千住に行って、今回のペルーB日程に参加するキャストで、友達のよしひろと飲んだ。
彼が料理人ということもあり、いつも行く僕のお気に入りの居酒屋に行って、その後ベルギービールを飲めるお店に行って、いろいろ話した。
帰ってから、溜めていた関ジャムと月曜から夜ふかしを見て、今に至る。
②今日思ったこと
1.インプットの必要性
僕はこんなふうに今日思ったことをつらつらと書くくらいに、どうでもいいことから、大事そうなことまで毎日考えているタイプです。
そして、おしゃべりが大好きすぎて、モテるための「女性の話はとにかく聴きましょう」というアドバイスが一番嫌いなタイプの人間でもあります。
なので、今日のよしひろとの飲みでも、ひたすら喋り倒してしまいました。
喋りすぎたなあと思い、純粋に料理人の彼に聴きたかったこと
「料理でも、やっぱりこれを食べたら、あの人が作ったなってわかるもんなの?」
という質問を投げてみました。
というのも、音楽は誰がこの曲を作ったかというのは素人でもわかりやすく理解できるようにできていて、音楽以外でもその人とその作風を少し知っていれば、絵でもダンスの振り付けでも、映画でも誰が作ったかわかるけれど、料理でもそれって言えるんだろうかと前々から思っていました。
そんな質問を彼にしてみたら、
「うん、わかるよ。レシピが一緒でもやっぱり誰が作ったかはわかる」
とのこと。
これは結構自分の中でも新しい発見で、芸術でも料理でも、レシピが一緒でもオリジナリティは確立されることがわかりました。
他の家庭のカレーの味が違うっていう理由がなんかわかった気分でした。
一見言ってることは当たり前でも、芸術みたいにわかりやすく個性を出せるものと違って、料理ってどうしてもこの料理はこのレシピと決められる印象だったので、すごく新鮮でした。(音楽だったら、ロックにクラシック混ぜてもそんなに違和感ないけれど、肉じゃがの肉、馬肉だったりとかしたらまあまあびびるじゃんかっていう話、伝わりますかね)
これを聞いて、やっぱり知らない世界を知るためのインプットは大事だなあとすごく今日は思いました。
喋りまくって、日々の思考をアウトプットするのは得意なんですが、アウトプットはインプットがあって初めて成り立つもので、自分のアウトプットには限界があります。
でもインプットは半永久的に続けることができる。
アウトプットはもちろん大事なんだけど、インプットを続けることが、めちゃくちゃ大事なんだということを、なんでもない疑問から学びました。
インプット、頑張ってしていきたいなあ。
2.世の中は想像の100倍進んでるんです
関ジャムは本当に、毎回色んな音楽的な学びをくれるので、めちゃくちゃ毎回楽しく見させていただいてるのですが、今回はVTuberの話が取り上げられていました。
前々からその存在は知っていたんですが、本当に意思を持って、めちゃくちゃ受け答えしてるキズナアイちゃんをみて、彼女が歌って踊っている姿をみていた
ら、果たしてミュージシャンの未来ってどうなるんだって急に不安になりました。
僕が思っている以上に、音楽業界もめちゃくちゃ進んでいて、昨日のDEMO DAYの流れからも、世の中は自分の想像の100倍くらい進んでるんだなと痛感しました。
もう世代とか認識の違いとかが生まれるのは、50年とか30年とか10年とかじゃなくて、本当にもうすぐ1年単位でそういうものが生まれるようになるなと思います。
1年後に生まれた子たちは違う価値観を持って、違う文化に接している。
そんな時代がもうすぐそこにきてるんじゃないかなと。
その中で、果たして変わらずに、残るものはなんなのか。
そう考えると、教育業界(一応僕は教育学生なので)ではSTEAM教育に入る分野なんじゃないかなと思います。
サイエンス(化学)、エンジニアリング(工学)、テクニック(技術)、マスマティック(数学)、そしてアート(芸術)。
でもどうなんでしょう、多分技術が進歩したら、このうちのきっと3分の2も機械に変わられてしまうんだろうなとも思います。
個人的に考えた結果、やっぱりアートだけは、正確にいうと非科学的な人間的な温もり的要素を持ったものだけは、どうやっても残るんじゃないかなと思いました。
逆を言えば、温もりのない、人間らしさのないものは機械によって作り出せるようになってしまうということでもあると思います。
もうそうなったら、結局僕らは人としてどうあるのかというところを突き詰めながら、それを伝えるための、生かすためのツールを学ぶ他ないのじゃないかと思いました。
どうしよう、機械によって作られた絵の展示展とか開催されたり、機械によって作られた音楽ライブが武道館を埋めたりなんかしたら。でもそんな時代がもう来るんだなと思うと、ワクワクよりも焦りが勝ちます。ウヒイ。
3.僕が大学に行く意味
旅人の界隈によく「大学に行っても、高い金を親に払ってもらって、スマホいじってるだけだから、やめちまおう」みたいな、的なことをいう人が時々に目に止まります。
まあ言いたいことはわかるんですが、じゃあ高い金を払ってもらって、そのお金の価値の分を、やめるという選択肢を除いて、どう還元できるのかを考えたいと僕は思います。
やめたければ別にやめたらいいとは思うんですが、
僕はやっぱり大学にはいきたいんです、だるいけれど、めんどくさいけれどやっぱり通いたい。
なぜなら、大学は怠惰な人間に一番効率的に知識をつけさせる場だから。
知識は誰にも盗まれないし、色んな物事を考えるためのフィルターを形成してくれるものだと思ってます。
世の中にある情報や、思想を、鵜呑みにせずに吟味して自分に取り入れる上で知識によって作られた視点、フィルターをどれだけ持てるかがこの情報社会で大事なんじゃないかなと思ったとき、やはり知識というのはめちゃくちゃ大事なものだと僕は思っています。
とは言え、勉強自体があんまり好きじゃない僕にとって、知識をつけるという作業はなかなかしんどい。
そんな中で、親にお金を払ってもらって、半ば強制的に出席させられて知識を詰め込まれる大学という場所は、僕にとってほぼ唯一の学問に接することができる場所です。
そしてそこから、興味を持てるものがみつかる。
大学は僕にとって、欲しい知識を与えてくれて、新たな知見を与えてくれる場所です。コミュニティに所属して偏った思想を、批判的に再考させてもらえる場所です。
そして、そのお金は幸い僕の場合は親が出してくれてる。甘えに甘えることができる場所です。
さらに、学びたいものもできたとなれば、やめるという選択肢もないでしょう。
やめたいならやめてもいいとは思いますが、それはどんな場所でも思考して、知識をつけることをやめない人であることが大事だと思います。
生憎、僕はそうではないので、甘えに甘えて、大学という場で、思考し、知識をつけ、大学外でその思考と知識を実践し、そしてまた大学でその思考と知識をブラッシュアップするというのが、一番僕にはフィットしてます。
僕の中での大学に行く意味はそういうことです。
あなたが大学に行く意味はなんでしょうか。
終わりに
今日も読んでいただきありがとうございます。
ふと思ったのが、この日記を毎日更新すると、時々書きたくなる普通のnoteをどのタイミングで出せばいいかわからないということです。
多分日記は毎日書くと思うので、時折、一日に2つnoteに記事を書くことがあると思うので、そんな時は日記よりもそちらを読んでもらえたら嬉しいです。
明日は久々の大学なので、張り切っていきたいと思います。