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怒りという感情について〜anagonの日記 3/18〜
はじめに
お久しぶりです。
もはや気が向いたら書くレベルになってきました。
100日続けてもなかなか習慣化できないものですね。
①今日あったこと
・ダンススタジオの見学に行った
・ピーターパンのパン食べた
・あかちょからお酒届いた
・水ダウ見た
・大阪ライブのMTした
・「噛みあわない会話と、ある過去について」読破
・ギターたくさん練習した
スティービー・ワンダーのIsn't She Lovelyのソロギターを練習中です。
難しいです。
②今日思ったこと
1.怒りという感情の人間臭さと美しさの話
今日読み始めて一瞬で読み終えた辻村深月の「噛みあわない会話と、ある過去について」。
読んでる最中も、読み終わってからも気持ち悪くなる小説でした。
心というものに気道があるとしたら、その気道をきゅっと絞められているような感覚。
この本を読んでて思ったのが、「怒り」という感情は、非常に人間臭い感情だなということです。
人間以外の動物も怒ったりするけど、その理由はわりかし明確だし、一時的だと思います。
一方で人間の怒りは、その怒りの理由が複雑で、そして一時的でない、もはや恨みと言っても過言ではないものまである。
怒りという負の感情ほど、エネルギーがあって、それでいて繊細で人間臭いものは無いと思います。
そして僕はその人間臭さが、たまらなく愛おしくて美しい。
ちょっと話が変わって、
僕はあんまり「うっせぇわ」という曲が物足りなく感じていて(メロディーは大好き)、
なんでそう思うかというと、「そんなもんじゃない」と思うから。
怒りのエネルギーは感じるけど、その怒りに至るまでの繊細な感情の機微を僕は見たい。
あれだけのエネルギーがあるなら、きっとそこに至るいろんな感情と思考の動きがあったはず。
それが見れずに、淡々と怒りの対象となるものを羅列して文句言って終わりなのが、個人的にはもったいないなぁと思ったりします。(まぁ売れてから言えよって話なんですけど)
話を戻して、
とにかく、怒りという感情は、非常に複雑で、多様で、とても人間臭くて美しいと僕は思うのです。
怒りという感情、それに伴う心の揺らぎ、そしてそれに伴う言語化作業で紡がれる言葉たち。
とても醜くて、人間らしくて、不完全で、繊細で、壊れやすくて、儚くて、美しい。
低次な怒りは要らないけれど、高次な言語化を伴う怒りという感情は無くさないで生きていたいなぁと思います。
終わりに
さぁ、明日もちゃんと描けるだろうか。