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【赤報隊に会った男】⑦ 鈴木邦男証言の疑問点

鈴木邦男が生前に繰り返し書いていた「赤報隊に会ったことがある」という体験談。その信憑性を検証するうえで、必ず踏まえておきたいことがある。
それはこういう事実だ。
鈴木は週刊「SPA!」の連載「夕刻のコペルニクス」で赤報隊との接触を告白するより前に、赤報隊について考察した著書を2冊出版している。ところが、これらの本の中には「赤報隊に会った」という話が一切出てこない――――。
普通に考えれば、これは非常に不自然な話である。

その2冊の著書とは、朝日新聞阪神支局襲撃事件の翌年に出版された「テロ 東アジア反日武装戦線と赤報隊」(1988年、彩流社)と、そのさらに2年後に出版された「赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相」(1990年、エスエル出版会)である。

「赤報隊の秘密」(エスエル出版会)と「テロ」(彩流社)

鈴木は両書の中で、赤報隊の犯行様式や犯行声明文を分析し、右翼の行動原理と照らし合わせながら犯人像をあれこれと推理している。それはそれで興味深い論考なのだが、自分自身がそれらしい男に会ったことがあるとは一言も書いていない。
「夕刻のコペルニクス」の記述に従えば、これらの本が出版された当時、鈴木はすでに赤報隊らしき謎の男と何度も接触していたはずなのに、である。
なぜ、事件発生後1~3年の時期に出版したこれらの本では、赤報隊に会ったという重要な体験に言及せず、事件から8年も過ぎてから、週刊誌連載で唐突にその体験を語り始めたのか……。
鈴木は「夕刻のコペルニクス」で赤報隊との接触を初披露するにあたって、こんなふうに心情を吐露している。

実はこのことは生涯誰にも言うまいと思っていた。捜査中の事件だし、下手すると僕が「殺人の共犯」で逮捕される。また当の「赤報隊」に“口封じ”で殺されるかもしれない。今後は命がけの連載だ。

「SPA!」1995年6月14日号「夕刻のコペルニクス」第33回

ただ、これを読んでも僕はいまひとつ納得できない。
捜査中の事件だから危ない話は書かなかった、というのはまあわかる。しかし、それを言うなら、この「夕刻のコペルニクス」を書いている時点でも116号事件が捜査中であることに変わりはないのだ。
長年胸の奥に封印していた秘密を、なぜこのタイミングで「命がけ」で暴露する気になったのか。その説明になっていない。
うがった見方をすれば、週刊誌連載を盛り上げるために架空の体験談を創作したのではないか。 その結果、公安警察やメディア各社が予想以上の反応を示したために、途中から幻想文学のような形にトーンダウンさせてお茶を濁したのではないか――――そんな疑念さえ湧いてきそうだ。

余談だが、この警察庁広域重要指定116号事件をめぐっては、後年、この種のフェイクニュース騒動が実際に起きている。2009年(平成21年)に世間を騒がせた、週刊新潮のニセ実行犯実名手記事件だ。

週刊新潮に載ったニセ実行犯の実名手記

それはこういう出来事である。
116号事件の完全時効から4年余りが過ぎた2007年(平成19)11月、ある詐欺事件で網走刑務所に服役していた島村征憲なる60代の男が、獄中から新潮社へ1通の手紙を送った。そこには驚くべきことが書かれていた。
私はかつて116号事件の犯行の数々を実行したことがある。このことを封印したまま逝くのを良しとするか、全て公表して人生を終えるのが良いのか、迷っている――――そんな内容だった。
ただちに週刊新潮の編集部が取材に動いた。
取材班は島村と1年間にわたって手紙のやり取りを重ね、刑務所を訪れて面会し、2009年(平成21年)1月に彼が出所するとホテルに缶詰めにしてインタビューを続けた。島村の話に登場する人物の実在を確かめるなど周辺取材も進めた。
そのうえで編集部は「島村証言は信用できる」と判断。週刊新潮の2009年2月5日号から4週連続で「実名告白手記 私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」と銘打った“スクープ記事”を掲載した。

週刊新潮が掲載した116号事件「実行犯」の告白手記

その内容がまたすごい。
私(島村)は、在日米国大使館の男性職員から指示を受け、報酬のカネ目当で朝日新聞の東京本社、阪神支局、名古屋の社員寮、静岡支局の事件を実行した。使用した散弾銃は大使館職員が用意し、自分の子分の若者や関西の暴力団員にも犯行を手伝わせた。犯行声明の文案は大物右翼の野村秋介に考えてもらった――――というのである。
特に阪神支局襲撃のくだりは、記者に向かって散弾銃を発射する場面が生々しく描写されていて、その臨場感たるや、鈴木邦男が「夕刻のコペルニクス」で描いた赤報隊との接触を数段上回っているといっても過言ではない。
もちろん、マスコミ界隈は騒然となった。
日本警察が全力を挙げても特定できなかった「真犯人」が週刊誌に登場し、犯行の経緯を細かく語っているのだから驚くのも無理はない。これが事実なら、この国の事件報道史上、前代未聞のスクープと言ってもいいくらいである。
しかし、メッキはすぐにはがれた。
記事掲載後、朝日新聞や週刊文春から証言内容の矛盾などを指摘されると、島村はあっけなく「証言はウソだった」と言葉を翻し、挙句の果てには「(新潮側に)想定問答を読まされただけ」などと言い出した。
梯子を外された形の週刊新潮は4月23日号に「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」と題する経緯説明記事を掲載して誤報を認め、「歴史的スクープ」は一転して「歴史的マスコミ不祥事」になってしまったのである。

週刊新潮が誤報を認めた経緯説明記事

ちなみに、世間がこの誤報で大騒ぎしていた頃、鈴木邦男はブログでこの話題を取り上げ、「『週刊新潮』を手玉に取るということは、自民党や民主党を手玉にとる以上に難しい。それを島村氏はやったのだ。大したものだ」と皮肉たっぷりにコメント。
さらに、刑務所時代の島村と何度も手紙をやり取りしたことがあると明かし、こんな文章をつづっていた。

2人で「世間を騒がせること」を相談し合ったのか。それは分からないが、手紙のやりとりはあった。又、自分の本も送ってやった。
書けるのはここまでだ。「島村氏から何回も手紙が来てるんでしょう。見せてくださいよ」と、マスコミにいわれたが、お断りした。だって、「信書の秘密」じゃないか。(略)
私を信用して手紙をくれたのだ。それは守秘義務があるたろう。これは、赤報隊事件の本物の「実行犯」との間の信義でもある。(略)
それだけは律儀に守ってきた。いい加減な私だが、それだけが取り柄だ。又、それがあるので今まで殺されずに生きている。

ブログ「鈴木邦男をぶっとばせ!」2009年3月16日

さらに付け加えておくと、島村は翌2010年(平成22年)の4月、北海道富良野市で白骨遺体となって発見されている。
各メディアの報道を総合すると、現場は山奥の資材置き場で、遺体の大部分はすでに野生動物に食い荒らされたような状態だったらしい。地元の警察は、彼が同年1月に自殺未遂を起こしていたことなどから、「自殺の可能性が高い」と判断したという。

島村の死を報じた新聞記事

結局のところ、島村征憲なる人物がなぜこんな大掛かりなウソをついたのかは今もよくわかっていない。
単なる自己顕示欲だったのか、あるいは週刊誌からの謝礼が目的だったのか。いずれにせよ、世の中にはメディアを相手に途方もないウソをつく人間がいる。その言葉を迂闊に信じて綿密な裏付け取材を怠ったら、致命的な誤報を飛ばしてしまう――――。この1件は、そんな教訓を報道関係者に残したのだった。

フィクションの可能性

話を戻そう。
鈴木邦男による「週刊SPA!」での告白が、これと似たような妄想の産物である可能性はあるだろうか。
率直に言って、それはあると考えざるを得ない。
先ほど述べたように、鈴木が1988~1990年に上梓した赤報隊関連の書籍には、赤報隊らしき男に会ったという話が全く出てこないのに、1995年になって急に週刊誌連載で「会ったことがある」と書き始めたという経緯はいかにも不自然だ。
その週刊誌連載にしても、赤報隊と接触した日時や場所、相手の年齢、人相など具体的な情報は一切書かれていない。
それどころか、「この連載は全て本当かもしれないし、全てウソかもしれない」「時には自分の推測や勝手な思い込み、断定、フィクションも入っている」と逃げ道を作っている。さらに、メディアの取材に対して「あれは文学的な表現」「つい筆が滑った」などとコメントしてもいる。
疑おうと思えば疑わしいポイントはいくらでもある。

しかし……。
「赤報隊に会った」という鈴木の告白が作り話だったとしたら、また別の疑問が浮かんでくる。
それならば、なぜ、最初の告白から9年も経ってから、再び自著で、それも116号事件の謎解きをテーマにしたわけでもない「公安警察の手口」という真面目な本の中で、鈴木はこの話を蒸し返したのだろう、という疑問だ。
その頃の鈴木はすでに「イデオロギーの枠を超えた論客」として、多くの著書を世に送り出し、テレビでも活躍し、言論の世界で確固たる存在感を放つようになっていた。今更、右翼活動家時代のきわどい体験談や赤報隊との接点を披露して世間の注目を集める必要など全くなかったはずである。

やはり、鈴木邦男には何らかの実体験があるのではないか。
その記憶が常に頭の片隅に残っていて、ふとした拍子に言及したくなるのではないのか。
僕にはそんな思いがどうしてもぬぐえなかった。
いつか、この疑問を本人に直接ぶつけてみたい。
新聞記者という仕事をしながら、そんな思いをずっと胸に抱いていた。
そのチャンスがようやく訪れたのは2017年(平成29年)の春。116号事件の発生から、ちょうど30年の歳月が流れた頃だった。(つづく)

つづきはこちら→【赤報隊に会った男】⑧ 実現したインタビュー

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