【赤報隊に会った男】関連年表
〈赤報隊・鈴木邦男〉関連年表
1981年(昭和56年)
12月 日本民族独立義勇軍による米国総領事館放火事件。
同月 警視庁が一水会を家宅捜索し、令状を破った容疑で鈴木を逮捕。
(※23日間拘留されるも不起訴に)
1982年(昭和57年)
1月 一水会が機関紙に日本民族独立義勇軍の犯行声明文を掲載。
(※以後、公安警察から関係を疑われるようになる)
5月 日本民族独立義勇軍による元米海軍住宅放火事件。
9月 新右翼の若者らによるリンチ殺人事件。一水会の見沢知廉ら逮捕。
(※この時点ではまだ見沢知廉の筆名は名乗っていない)
1983年(昭和58年)
5月 日本民族独立義勇軍によるソ連総領事館放火事件。
8月 日本民族独立義勇軍による朝日新聞東京・名古屋両本社放火事件。
1984年(昭和59年)
5月 鈴木が「朝日ジャーナル」誌上で筑紫哲也編集長と対談。
7月 天皇不敬イラストを掲載した「新雑誌X」を一水会メンバーが襲撃。
(※鈴木は後に自分が指示したことを著書で告白)
1987年(昭和62年)
1月 赤報隊による朝日新聞東京本社銃撃事件。
(※犯行声明の名義は「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」)
5月 赤報隊による朝日新聞阪神支局襲撃事件。29歳の若手記者が死亡。
9月 赤報隊による朝日新聞名古屋本社寮銃撃事件。
1988年(昭和63年)
3月 赤報隊による朝日新聞静岡支局爆破未遂事件。
同月 赤報隊による中曽根康弘脅迫事件。
同月 赤報隊による竹下登脅迫事件。
8月 赤報隊による江副浩正・リクルート元会長宅銃撃事件。
9月 鈴木が「テロ 東アジア反日武装戦線と赤報隊」出版。
(※謎の男との接触には一切触れず)
1989年(昭和64年/平成元年)
1月 昭和天皇死去。
1990年(平成2年)
1月 右翼団体「正氣塾」幹部による長崎市長銃撃事件。
2月 鈴木が「朝まで生テレビ」(徹底討論・日本の右翼)に出演。
(※「どんなことがあっても言論の自由は守るべき」とテロを否定)
5月 鈴木が「赤報隊の秘密 朝日新聞連続襲撃事件の真相」出版。
(※謎の男との接触には一切触れず)
同月 赤報隊による愛知韓国人会館放火事件。
1993年(平成5年)
10月 野村秋介が朝日新聞東京本社で拳銃自殺。
1994年(平成6年)
10月 鈴木が「SPA!」で連載「夕刻のコペルニクス」を開始。
1995年(平成7年)
6月 鈴木が「夕刻のコペルニクス」で赤報隊との接触を告白。
9月 兵庫県警が鈴木宅を家宅捜索。
11月 「夕刻のコペルニクス」赤報隊編が終了。
1998年(平成10年)
1月 警察庁が116号事件の重要捜査対象者リストを作成。
(※鈴木ら全国の右翼活動家9人をリストアップ)
1999年(平成11年)
12月 鈴木が一水会代表を退く。
2001年(平成13年)
6月 鈴木の「SPA!」連載「夕刻のコペルニクス」が終了。
2002年(平成14年)
3月 鈴木宅が放火され、脅迫状が届く。
(※脅迫状の主は「民族独立義勇軍再建委員会」と名乗り、「ジゴ一切ワガグン別動隊についてセンサクすることは許されない」と主張)
同月 一水会が「時効寸前 赤報隊の真相」と題する集会を開催。
4月 ジャーナリスト一橋文哉が「『赤報隊』の正体」出版。
5月 朝日新聞阪神支局襲撃事件の時効が成立。
8月 朝日新聞116号事件取材班が「新聞社襲撃」出版。
2003年(平成15年)
3月 116号事件の全ての犯行が時効成立。
2004年(平成16年)
10月 鈴木が「公安警察の手口」を出版。
(※赤報隊との接触に言及)
2005年(平成17年)
9月 鈴木が「別冊宝島 戦後未解決事件史」に寄稿。
(※再び赤報隊との接触を告白)
2009年(平成21年)
2月 週刊新潮が116号事件の自称実行犯・島村征憲の手記を掲載。
3月 鈴木がブログで島村と手紙のやり取りがあったことを明かす。
4月 週刊新潮が島村の手記は誤報だったと認める。
2010年(平成22年)
4月 島村が北海道富良野市で遺体となって見つかる。
(※警察は自殺の可能性が高いと判断)
2017年(平成29)
鈴木が筆者(穴切)のインタビューを受ける。
2018年(平成30)
1月 NHKスペシャル「未解決事件File6 赤報隊事件」放送。
2月 樋田毅が「記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実」出版。
2023年(令和3年)
1月 鈴木死去。
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