【赤報隊に会った男】⑨ 覆された事実関係
鈴木さんはかつて、「SPA!」の連載で「赤報隊に会ったことがある」と書きましたよね?
僕がこう問いかけると、鈴木邦男は「ありましたねえ……」と頷いた。表情はあくまで穏やかだ。
――――会っただけじゃなく、かなりやり取りを書いていますね。ただ、その後、朝日新聞や週刊文春の取材に「あれは文学的表現」「筆が滑った」などとコメントしています。
「ははは……」
――――実際のところはどうなんでしょうか?
「赤報隊でしょう、多分。僕は結構、いろんな犯罪者と会っているんですよ。それはどこか信用されているのか、何かあったら殺すよと脅されてるのか、分からないんだけども」
鈴木はこともなげに言った。
その口調は落ち着いていて、とても嘘をついてるようには見えない。
――――その人が赤報隊だと思う最大の理由は何なんですか。
「証拠はないんだけど、僕はそう思ったんだなあ。ただ単に乱暴な人は、学生時代からいっぱい見ていますからね。乱暴で何かあったら暴発的に暴れるという人はいっぱいいましたけど、そういう人ってやっぱり計画的犯罪ってできないでしょ。それとは違う冷静さを持っていた。
――――今もその人が関与したと思っていますか。
「思いますよ、ええ」
彼はさらにこんなことも言った。
「野村秋介さんも会ったと言ってるんですよ。野村さんのは違うと思いますけど。何人も集団で会いに行くなんて……」
おや、と思った。
すでに述べたように、鈴木は連載「夕刻のコペルニクス」の中で、盟友の野村秋介も生前、赤報隊に会ったと周囲に語っていたというエピソードを披露している。
それによると、野村のもとにある時、赤報隊らしき5人組の男が現れて「会談」をした。両者は「朝日新聞の論調は許せない」という点で一致したが、野村は「末端の記者を殺すのはよくない」と相手をたしなめたという。
野村秋介は後年、朝日新聞社長の面前で拳銃自殺を遂げているが、野村は社長を前にしてもテロはしなかった。その行動をもって赤報隊に「もうテロはやめろ」と伝えた。それがわかったから赤報隊はその後テロをやめたのだ、と鈴木は連載に書いていた。
なのに、いま目の前にいる鈴木は、野村が会った男は赤報隊とは違うと思う、というのだ。
〈野村・赤報隊会談〉は「ありえない」
――――野村さんは「5人で会いに来た」と言ってたんですよね。
「(相手が本当に赤報隊なら)そんなやり方しないですよ。少しでも証拠を残すようなことは……。僕の場合はものすごく用心深い人だったから、もしかしたらと思ったですね」
――――1人なんですよね、鈴木さんが会ったのは?
「ええ。野村さんが言ったように5人連れてくるというのはありえないと思っているんですよ、僕は。そりゃあ部下がいるでしょうけども、部下に対していちいち『これは秘密だよ』と言うのは大変でしょ。だから、そういう時は自分1人で会っているわけであって……」
話を聞きながら僕は考えた。
「夕刻のコペルニクス」の中で描かれた赤報隊にまつわるエピソードのうち、少なくとも「野村・赤報隊会談」の話は、鈴木流の脚色・創作がかなり加えられているな、と。
恐らく、生前の野村が周囲に「赤報隊らしき5人組に会った」と話していたのは事実なのだろう。しかし鈴木は、話の内容から考えてその男たちが本当に赤報隊だったとは信じていなかった。にもかかわらず、野村の話に完全に乗っかって、「野村・赤報隊会談」を実際の出来事としてドラマチックに描きあげたのだ。
単に連載を盛り上げる目的だったのか、盟友の野村を美化する目的だったのかはわからないが、少なくとも73歳になった現在の鈴木は、野村と赤報隊の間に本当に接点があったとは考えていないのである。
〈第1の接触〉の男の正体
ならば、ここからは鈴木自身の体験に焦点を絞っていこう。
僕はカバンの中からA 4用紙に印字した資料を取り出して机の上に置いた。
それは、「夕刻のコペルニクス」や「別冊宝島 戦後未解決事件史」の中で鈴木が披露した彼自身と赤報隊との数度にわたる接触の要点を時系列にまとめ、かつ、それを116号事件の年表の中に落とし込んだ「赤報隊・鈴木邦男関連年表」ともいうべき資料だ。
鈴木は「すごいねえ」と感心しながら見入っていた。
僕はその年表を指し示しながら、まず〈第1の接触〉について質問した。
――――これを見てください。1982年の9月に一水会のメンバーによる内ゲバ殺人事件というのがありましたね。
「ああ、あれがあったね」
――――で、メンバーの見沢知廉さんが逮捕された後、謎の男が「見沢を奪回しましょうか」と持ちかけてきたと。
「そんなのあったね」
――――それはやっぱり事実なんですか?
「あったんですよ」
――――向こうから接触してきたんですか?
「はい」
――――電話で?
「会ったんですよ」
――――事務所に訪ねて来たのですか?
「というか、前から知っている人だったんですよ」
意外な答えだった。
面食らう僕に鈴木が説明したところによると、この男は当時フリーライターをしていた人物で、思想的に右か左かはよくわからないが、少し頭がおかしいのではないか感じるような言動が見受けられる男だったという。
――――「見沢を奪還する」という彼の申し出を、鈴木さんは悩んだ末に断ったと書いています。
「そりゃ信用できなかったしね」
――――で、別れ際に彼が「今後は朝日新聞をやります」と話したと。
「だから、その話も含めて僕が信用しなかったんだと思いますよ。だって、もし彼が赤報隊なら、そんな不用意なこと言わないですよ。ものすごく注意深い人だから」
ん? なにかおかしいぞ……。
「夕刻のコペルニクス」では、鈴木を戦慄させた謎の男として描かれている人物なのに、今の鈴木はその男をまるで小物扱いしている。
違和感を抱きつつ、僕はなおも聞いてみた。
――――今思い返せば、彼が赤報隊だったかもしれない、と思うわけですか?
「その見沢を奪還してやると言った人?」
鈴木は少しあきれたような顔で聞き返してきた。
――――はい。……もしかして、別の人なんですか?
「別の人ですね。見沢を奪還するなんてそんな誇大妄想なことは言わないですよ」
――――じゃあ、鈴木さんが赤報隊じゃないかと思っている人というのは、その後、差出人の名前のない手紙が来て、その場所に行ったら電話がかかってきて、2度3度と場所を変えた末に会ったという、その人ですか?
「その人ですね」
〈第1の接触〉と〈第2の接触〉は別人
ここでようやく、僕は自分の思い違いに気づいた。
鈴木が「夕刻のコペルニクス」で描いた〈第1の接触〉に登場する男と、〈第2の接触〉に登場する男は別人なのだ。
そして、鈴木が「本命」(=赤報隊の正体)だと考えているのは〈第2の接触〉の男、すなわち、朝日新聞阪神支局襲撃事件の後に差出人不明の手紙で鈴木を呼び出し、スパイ映画さながらの方法で密会して「中曽根を全生庵でやります」と宣言した男の方だったのである。
念のために説明しておくと、僕は決して「夕刻のコペルニクス」を誤読していたわけではない。
このインタビューが終わった後にもう一度、鈴木の連載を読み返してみたが、鈴木は〈第1の接触〉の男、つまり、見沢奪還を持ちかけてきた謎の男について、はっきりと「あの『赤報隊』が僕の前にいきなり現れた」と書いている。
さらにまた、朝日新聞阪神支局襲撃事件や静岡支局爆破未遂事件が起きた後、この謎の男が「朝日新聞をやります。何人かには死んでもらいます」と話していたことを思い出し、「この男こそ赤報隊に違いない」とピンときた、とも書いている。
さらに言えば、鈴木の連載をくまなく読んでも、〈第1の接触〉の男と〈第2の接触〉の男が別人であることを匂わせるような記述は全く見当たらない。
それどころか、〈第2の接触〉を描いた連載第45回の見出しは〈再会した赤報隊は「中曽根をやる」と宣言した〉となっているし、本文でも「実はもう一度会っている」と表現している。あくまで「再会」なのだ。
要するに、少なくとも連載の中では、〈第1の接触〉の男と〈第2の接触〉の男は完全に同一人物として描かれているのである。
ところが、いま目の前にいる73歳の鈴木によると、〈第1の接触〉の男の正体は、誇大妄想癖のある顔見知りのフリーライターであり、彼が赤報隊であるなどとは当時も今も全く考えていないという。
僕はしばし呆気にとられた。
ああ、このエピソードも鈴木流の脚色・創作なのだ……。
実在の人物(顔見知りのフリーライター)が実際にしゃべった内容(「朝日新聞をやります」云々)を題材にしてはいるのだが、受け手である鈴木の感情を大胆に脚色することによって、単なる「少し怪しい男」を「赤報隊らしき謎の男」に仕立ててしまう。
「野村・赤報隊会談」を生み出した手法とそっくりではないか。
しかし、そんな鈴木が今なお「彼が赤報隊だろう」と考えている「本命の男」が存在する。それが朝日新聞阪神支局襲撃事件の後に差出人不明の手紙で鈴木を呼び出した〈第2の接触〉の男なのだという。
当然、僕はそこへ切り込んでゆくことにした。(つづく)
つづきはこちら→【赤報隊に会った男】⑩ 本命の男
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