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【赤報隊に会った男】(番外) 鈴木邦男語録

この記事では、連載【赤報隊に会った男】の本編(全12回)で取り上げることができなかった鈴木邦男氏(以下、敬称略)の赤報隊に関する発言を紹介する。
ご存じの通り、この連載では「鈴木邦男は本当に赤報隊に会ったのか」という謎をテーマに据え、生前の彼の言葉の数々を検証してきた。しかし、そこで取り上げた発言以外にも、彼は赤報隊に関して膨大な文章を書き残している。
その中から特に興味深い言葉を幾つかピックアップしたので、連載本編を読了した方々には是非これらの言葉にも目を通していただき、彼の胸の奥底を推し量る材料にしてほしい。

右翼のしわざとは思えない

レコンの原稿を全て印刷所に入れて、初校をやっている時に「独立義勇軍」の犯行声明が出た。誰がやったか全くわからない。ただ、「どうも新右翼らしい」ということで、どっと取材が来た。問答無用に朝日新聞の記者を殺すような事件が、右翼・民族派のしわざとはとても思えない。今日(五月九日)までの新聞を見ても、「あんな無差別テロは右翼はやらないだろう」という見方が多いし、僕もそう思う。全く、別な恨みでやり、それに「独立義勇軍」の名前を勝手に使ったか。あるいは、別の事件なのに、この機会に容共・朝日を叩こうと関係のない団体が「声明」を出したのか。それは分からない。

「レコンキスタ」1987年(昭和62年)5月1日号(「赤報隊の秘密」収録)

これは、朝日新聞阪神支局襲撃事件の発生直後に発行された一水会機関紙「レコンキスタ」に載った文章の一節。事実上、赤報隊に関して鈴木が対外的に発した初めての言葉ということになる。
ちなみに、機関紙の日付は5月1日となっているが、鈴木によると、実際にこの号が出たのは5月10日ごろ。事件発生3日後に共同通信社と時事通信社へ犯行声明文が届き、その内容が世間に報じられた直後のタイミングだった。なぜ日付がずれているかというと、第三者郵便は発行日を一定にそろえる必要があり、レコンキスタは「毎月1日発行」という建前になっていたので、実際の配布が遅れても日付はそのままにしていたのだという。
また、犯行声明の主を「独立義勇軍」と書いているのは、「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」という犯行グループ名のうち、当時は「日本民族独立義勇軍」の部分が重要だと認識していたためだという。

「もしかしてあいつが…」という臭いすらない

事が成ったならば堂々と自首して刑を受ける。あるいは自刃して責任を取る。また、何のために決行したかをはっきりとさせる。それが右翼のテロだった。(略)
ところが今回の事件はそれもない……。「もしかしたらあいつが……」といった臭いすらもない。
だから、常識的に考えたら、この事件は右翼ではない。(略)
ただ、それでも何パーセントか分からないが、右翼だという可能性はある。犯人が捕まらない限り、可能性だけはある。

「赤報隊の秘密」(1990年、エスエル出版会)

事件発生の3年後に出版した著書での言葉。
「犯人が右翼なら堂々と名乗り出るはずだ」という主張は、その後も鈴木が一貫して唱え続けた持論である。
ただし、この本の中で鈴木と対談している朝日新聞の伊波新之助・編集委員(当時)は「野村秋介さんだって河野邸焼き討ち事件を起こした時など、一週間ぐらい逃げ回っている」「伊勢市役所に放火したYP体制打倒薩摩精忠隊なんかも犯行直後は姿をくらましている」と指摘し、テロを起こした右翼が必ずしも潔く行動するとは限らないと反論している。

僕の前に現れた赤報隊は若かった

これほどの恨みは、もしかしたら本人が戦争に行ったからではないか。仲間が祖国のため、大東亜解放のために闘い死んでいった。しかし負けたというだけで侵略者呼ばわりされる。このままでは汚名を着せられたまま犬死にだ。「日本だけが悪かった」という朝日には仲間の恨みを込めて復讐する。
そういう怨念があるのだと思った。しかし、野村さんや僕の前に姿を現した“赤報隊”はそんな老人ではなかった。若かった。だからこの推理は違うと思った。

「SPA!」1995年8月16・23日合併号「夕刻のコペルニクス」第42回

事件発生から8年が過ぎ、鈴木が赤報隊との接触を「告白」した「夕刻のコペルニクス」の中の一節。珍しく、謎の男の人となりに言及し、「若かった」と証言している。

野村さんも僕も完全犯罪の片棒を担がされた

野村さんが会った“赤報隊”もイザというときには自決する用意をしていたという。そうなると、やはり古典的なテロリストのイメージが浮かぶ。しかし、僕の前に現れた“赤報隊”はそんな「涙をもったテロリスト」ではなかった。どこか軍人を思わせるような雰囲気を漂わせたドライな殺人者だ。あまり思い出したくない男だ。確かに“冷たい目”はしていたが、野村さんが会った男と同じなのかどうかわからない。
というのは、赤報隊に会ったことは野村さんには言わず終いだったからだ。野村さんが「俺は赤報隊に会った。彼らは5人だった」と僕に密かに打ち明けてくれた時に、「実は僕も会ったんです」と言えばよかったのかもしれない。しかし僕は言わなかった。用心深かったのかもしれないし、卑怯だったのかもしれない。とにかく早く忘れたいと当時は思っていた。また変な事件に巻き込まれたらたまらないとも思った。
それに、野村さんの話を聞いて、僕ら2人が会った“赤報隊”は違う人間かもしれないと思った。あるいは5人のメンバーの中の別々の人間に会ったのかもしれない。大体、両方とも「自分は赤報隊だ」と名乗ったわけではない。野村さんも僕も「もしかしたら彼らが」と後になって直感で思っただけだ。
(略)
が、僕は少なくとも自分の会った方は“本物”だと信じている。なぜそう思うのかについて、今はこれ以上書けない。ただ、これだけは言える。赤報隊は凶暴で残忍だが、キチンと計算をして行動しているし、実に頭がいい。それに慎重だ。野村さんや僕が「実は赤報隊に会った」と、いつか公表することも計算の上なのだ。「やっぱり新右翼か」「右翼の周辺に犯人がいる」と警察の目が向くこともわかっていた。そして、そのことによって赤報隊はマンマと逃げおおせた。ここが重要な点だ。結果的には野村さんも僕も、赤報隊の完全犯罪の片棒をかつがされたわけだ。

「SPA!」1995年8月30日号「夕刻のコペルニクス」第43回

同じく「夕刻のコペルニクス」の一節。2017年のインタビュー内容と併せて読むと、いろいろ腑に落ちると感じる部分はある。しかし基本的には、読めば読むほど謎めいていて、どこまで真に受けていいのか悩ましい文章だ。

赤報隊は僕に恩義があると言った

以前、赤報隊はこんなことを言っていた。
「僕らは鈴木さんの本を読んで影響を受けました。恩義があります。それに心ならずも鈴木さんを容疑者にしてしまいご迷惑を掛けました。だからお役に立てることがあったら言って下さい。殺したいと思う人間がいたら、すぐに殺します」
ゲッ、凄きことを言うヤツらだとビックリした。ゾーッとした。

「SPA!」1995年10月25号「夕刻のコペルニクス」第51回

これも赤報隊との接触エピソードと言えるかもしれないが、いつの話なのかさっぱりわからない。

彼らと会ったのは本当だ

僕は批判し、罵る側に立った。ただ、批判しながらも彼らの〈真意〉は紹介した。だから彼らも僕を殺さないのだ。批判、罵倒しながらも奇妙な「友情」が生まれた。彼らと会ったのは本当だ。だから警察は何度もガサ入れに来た。赤報隊は「悪党」に徹し、地獄に堕ちて裁きを受ける覚悟だ。それもいい。僕らに警察やマスコミの目を引き付けることで君らは無事に逃げのび、闇に消えた。その点で少しでも恩義を感じているなら、一度だけその恩義を返してほしい。来年5月、時効の直後、僕が仕掛ける。それに君たちの生の声で答えてほしい。
だが、連載はこれで最後だ。(略)では読者の皆さんも、さようなら。もしかしたら来年5月、一度だけ「復活」する。でも僕にとって果たして〈来年〉はあるのだろうか。

「SPA!」2001年6月6日号「夕刻のコペルニクス」最終回

1994年から2001年まで「SPA!」誌上で6年半にわたって続いた連載コラム「夕刻のコペルニクス」の最終回に鈴木が記した言葉である。
1995年の赤報隊編の結末では「この連載はすべて本当かもしれないし、すべてウソかもしれない」とお茶を濁した鈴木だったが、連載そのものが打ち切られるにあたって最後に再び赤報隊の話題を持ち出し、「会ったのは本当だ」と主張している。
さらに、翌年5月に迫った朝日新聞阪神支局襲撃事件の公訴時効を見据え、自分が何らかのアクションを起こすから生の声を寄せてくれと要請。読者に対しても「来年5月に一度だけ復活する」と宣言している。
しかし、僕が調べた限り、少なくとも2002年5月発行の「SPA!」に鈴木は一度も登場していないし、「SPA!」誌上で116号事件に関する何らかの企画が催された形跡もない。鈴木が意図した「仕掛け」が何だったのかは不明である。ご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ情報提供をお願いしたい。

女と見紛う優男だった

赤報隊が時効になる直前、「週刊新潮」に取材された。もう時効だと思ったから、かなり思い切ったことを喋った。きわどい話もした。慎重に言葉を選びながら、喋った。私も、「週刊慎重」だった。ちょっとヤバかったかな、と思った。ところが何と、この記事はボツになった。慎重に喋りすぎて、「面白くない」。それが理由のようだ。何事も、真実はそんなに派手ではない。何だ、こんな事かと思えるようなものだ。私の話には、アメリカ大使館も北朝鮮も、偽ドルも出てこない。ひっそり暮らす「潜在右翼」の話だ。面白いはずはない。でも、ちょっとショックだった。
(略)
時効直前、もう一つ、「言い過ぎたかな」と思った記事がある。あの当時、浦沢直樹の「MONSTER」が大ヒットしていた。それをある週刊誌が特集していた。私も取材された。この漫画を描いた浦沢直樹も、「本当のモンスター」には会ってない。だが私は会った。実にストイックだ。女と見紛う人間だった。優男だ。この彼の中に、どうしてあのような熱気や狂気があるのだろう、と思った。そんな話をした。しまった、喋りすぎた、と思った。記事を取り消してもらおうかと思ってたら、その週刊誌が送られてきた。私のコメントはボツになっていた。「面白くない」「リアリティがない」と思われたのだ。「本当」や「真実」は、地味で面白くない。何か事件があると、ドラマティックな展開や、外国大使館や大金や政治家が蠢く構図を思い浮かべるかもしれないが、「犯罪」とは、もっと地味なのだ。ありきたりのことだ。

ブログ「鈴木邦男をぶっとばせ!」2009年3月16日

週刊新潮のニセ実行犯手記事件(詳しくは連載本編の第7回を参照)が世間を騒がせていたころ、鈴木がブログに載せた記事の一節だ。
読みようによっては「私が会った赤報隊らしき謎の男は、女と見紛うような優男だった」と受け取れるが、例によって、つかみどころのない文章構成になっている。

反日的なのは君たちだと赤報隊に言いたい

しかし今、赤報隊を支持する人はいない。卑劣だが、命をかけて国のことを考えているという人もいない。いや、「いる」か。在特会の中でヘイトスピーチをしている人たちだ。彼らの中には「赤報隊万歳!」「義挙だ!」と言っている人たちがいる。こういう人にだけ赤報隊は認められているのだ。情けない。
安倍政権のもと、日本人はどんどん偏狭で排外的になっている。そしてそれを愛国心だという。しかし違うだろう。日本の最も大事なもの(寛容の心)を失って、何が愛国心だ。日本的な良さを失い、最も日本的でないものばかりを大量に生み出したのではないか。赤報隊にはこう言いたい。「反日的」なのは君たちだ!

「AERA」2018年5月7日号「鈴木邦男の読まずにはいられない」

朝日新聞出版発行の週刊誌「AERA」に書いた書評の中の一節。紹介している本は、元朝日新聞116号事件取材班キャップ・樋田毅氏(以下敬称略)の著書「記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実」である。
これまで見てきた鈴木の言葉には、どこか赤報隊に対する思想的シンパシーのようなものが漂っていたが、晩年に書かれたこの文章にはそうした感情が消え失せ、強く批判する内容となっている。逆に、赤報隊の正体を探るために必死で右翼取材を続ける樋田への強い共感がにじみ出ている。
大げさに言えば、赤報隊への決別宣言とも受け取れる内容であり、鈴木の思想的変遷やその到達点を考えるうえでも大変興味深い文章だ。
しかし、その樋田に対しても最後まで真相を詳らかにしなかったのだから、鈴木の胸の奥底に秘められた謎は限りなく深いと言うほかない。


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