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赤報隊に会った男

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戦後史のミステリー、警察庁指定116号事件。その犯人に会ったことがあると生前語っていた鈴木邦男氏の証言を検証します。
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#ノンフィクション

【赤報隊に会った男】① 鈴木邦男が墓場まで持っていった秘密

ああ、鈴木さんはとうとう、あの話の真相を墓場まで持っていってしまったのか――――。 彼の訃報に接したとき、まずそう思った。そして、言いようのない落胆に打ちのめされた。 新右翼団体「一水会」の創設者・鈴木邦男が世を去ったのは今年1月。79歳だった。 想像するに、僕のような元新聞記者や元警察関係者の中には、同じような落胆を覚えた者が幾人もいたのではないだろうか。 なぜなら、彼が墓場に持っていった秘密は、かつて日本社会を震撼させた、ある未解決事件の真相を解明する糸口になったかもしれ

【赤報隊に会った男】② 第1の接触~「今後僕らは朝日新聞をやる」

1995年(平成7年)は、阪神大震災や地下鉄サリン事件、国松孝次・警察庁長官狙撃事件といった戦後史に残る出来事が続発した激動の年だった。 私は赤報隊に会ったことがあるという鈴木邦男の「告白」は、この年の6月、扶桑社が発行する週刊誌「SPA!」の誌面で唐突に始まった。 警察庁広域重要指定116号事件の発生からすでに8年。捜査にめぼしい進展はなく、迷宮入りしたのではないかとみなされるようになっていた頃の話である。 「夕刻のコペルニクス」という連載鈴木は当時、「SPA!」誌上で「

【赤報隊に会った男】③ 第2の接触~「中曽根を全生庵で狙う」

鈴木邦男が「SPA!」の連載コラム「夕刻のコペルニクス」で描いた赤報隊との〈第2の接触〉。それはこんな書き出しで始まる。 スパイ映画のような密会劇連載によると、鈴木が3つの日時の中から1つを選んで指定された場所に赴くと、そこに電話がかかってきて、警察の尾行を警戒するかのように2度3度と場所を変えさせられた。 まるでスパイ映画のような展開だが、そういうミステリアスな手順を踏んだ末、ようやく赤報隊らしき謎の男に会うことが出来たという。 その男は鈴木に会うなり言った。 「中曽根康

【赤報隊に会った男】④ 第3の接触~「統一教会は僕らの敵だ」

前回までの記事で、鈴木邦男がかつて週刊誌「SPA!」の連載「夕刻のコペルニクス」で「告白」した、赤報隊との2度にわたる接触について紹介した。しかし、話はこれだけで終わらない。 彼は連載の中で、さらにこんな文章をつづっている。 赤報隊からの抗議電話この電話で謎の男は鈴木をなじる。 「最近、鈴木さんは『あいつらは右翼を偽装している』とか『統一教会だろう』なんてマスコミで発言していますよね。自分の嫌疑を晴らそうと必死なのはわかりますが、ヒドイと思いますよ。統一協会なんて僕らにとっ

【赤報隊に会った男】⑤ トーンダウン~「あれは文学的な表現」

鈴木邦男が連載「夕刻のコペルニクス」でつづった赤報隊との接触エピソードは大きく4つ。その内容を整理するとこうなる。 いずれも、事実であれば警察庁広域重要指定116号事件の核心に迫るような内容だ。ところが、この4つのエピソードを吐き出した後、「夕刻のコペルニクス」は予想外の展開をみせる。 公安警察が鈴木宅を家宅捜索〈連載を読み警察が前代未聞のガサ入れをした!〉 こんな見出しが躍った連載第50回は、鈴木のこういう文章で始まる。 なんと、「夕刻のコペルニクス」赤報隊編が佳境に

【赤報隊に会った男】⑥ 時効後の再告白~「関西のホテルで会った」

赤報隊を名乗るグループが朝日新聞社などを襲撃した警視庁広域重要指定116号事件は、2003年(平成15年)3月に全ての犯行が公訴時効を迎えた。 その翌年の10月、鈴木邦男は筑摩書房から「公安警察の手口」という新書を出版した。 タイトルの通り、日本の公安警察の捜査手法や組織構造、その問題点を体系的に論じたこの本の中で、鈴木は116号事件に言及して次のような文章を書いている。彼の胸の内を探るうえで非常に重要な資料だと思うので、少し長めに引用してみよう。 いかがだろう。 「夕刻

【赤報隊に会った男】⑦ 鈴木邦男証言の疑問点

鈴木邦男が生前に繰り返し書いていた「赤報隊に会ったことがある」という体験談。その信憑性を検証するうえで、必ず踏まえておきたいことがある。 それはこういう事実だ。 鈴木は週刊「SPA!」の連載「夕刻のコペルニクス」で赤報隊との接触を告白するより前に、赤報隊について考察した著書を2冊出版している。ところが、これらの本の中には「赤報隊に会った」という話が一切出てこない――――。 普通に考えれば、これは非常に不自然な話である。 その2冊の著書とは、朝日新聞阪神支局襲撃事件の翌年に出

【赤報隊に会った男】関連年表

〈赤報隊・鈴木邦男〉関連年表 1981年(昭和56年)  12月 日本民族独立義勇軍による米国総領事館放火事件。  同月 警視庁が一水会を家宅捜索し、令状を破った容疑で鈴木を逮捕。    (※23日間拘留されるも不起訴に) 1982年(昭和57年)  1月 一水会が機関紙に日本民族独立義勇軍の犯行声明文を掲載。    (※以後、公安警察から関係を疑われるようになる)  5月 日本民族独立義勇軍による元米海軍住宅放火事件。  9月 新右翼の若者らによるリンチ殺人事件。一水会の

【赤報隊に会った男】⑧ 実現したインタビュー

2017年(平成29年)春のある日。 僕は東京・高田馬場駅の近くにある喫茶店の個室で、鈴木邦男と向かい合っていた。 彼は当時、73歳。 僕にとっては父親よりも少し上の世代だが、スーツに身を包んだ鈴木は年齢よりずっと若く見えた。頭髪こそすっかり薄くなっているが、肌に色艶があり、その表情にはまだまだ気力が充実している様子がうかがえる。 同席者は誰もいない。1対1の対面取材である。 警察庁広域重要指定116号事件の発生から今年で30年になります。この節目の機会に、この事件に対する

【赤報隊に会った男】⑨ 覆された事実関係

鈴木さんはかつて、「SPA!」の連載で「赤報隊に会ったことがある」と書きましたよね? 僕がこう問いかけると、鈴木邦男は「ありましたねえ……」と頷いた。表情はあくまで穏やかだ。 ――――会っただけじゃなく、かなりやり取りを書いていますね。ただ、その後、朝日新聞や週刊文春の取材に「あれは文学的表現」「筆が滑った」などとコメントしています。 「ははは……」 ――――実際のところはどうなんでしょうか? 「赤報隊でしょう、多分。僕は結構、いろんな犯罪者と会っているんですよ。それはどこ

【赤報隊に会った男】⑩ 本命の男

鈴木邦男が「この男が赤報隊に違いない」と考えている本命の人物は、見沢知廉の奪還を持ちかけてきた〈第1の接触〉の男ではなく、中曽根総理襲撃を予告した〈第2の接触〉の男だった――――。 そのことを悟った僕は当然、この人物に質問の矛先を向けることにした。   ――――この人とは1度しか会わなかったんですか? 「もう1回会ったのかな。なんか、ものすごく慎重でしたね」   そう、この〈第2の接触〉の男はものすごく慎重な人物なのだ。 繰り返しになるが、改めて説明しておこう。 鈴木が199

【赤報隊に会った男】⑪ インタビューの結末

インタビューの開始からすでに2時間が過ぎていた。 鈴木邦男は本当に赤報隊に会ったのか――――。 この疑問に何としてでも答えを出してやろうと意気込んで臨んだインタビューだったが、それは簡単な仕事ではなかった。 これまでのやりとりを通じて、鈴木が過去に書いた赤報隊に関するエピソードの中に、数多くのフィクションが混入しているという心証は得られた。 しかし、その一方で、鈴木があくまで「実体験」だと主張するエピソードもあった。 朝日新聞阪神支局襲撃事件の後、差出人不明の手紙で呼び出され

【赤報隊に会った男】⑫(最終回)解けた謎と解けざる謎

あのインタビューからはや6年が過ぎた。 あの日、あの喫茶店の個室で、鈴木邦男は最後まで笑顔を絶やさず、僕のしつこい取材に付き合ってくれた。 しかし、核心に触れる話はとうとう最後までしてくれなかった。 店の前で礼を言って別れた後、高田馬場駅の改札まで歩きながら、無念さで天を仰いだ記憶が今も頭に焼き付いている。 それから1年近く経ったころ、僕は思わぬところで、赤報隊について語る鈴木の姿を見た。

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【赤報隊に会った男】(番外) 鈴木邦男語録

この記事では、連載【赤報隊に会った男】の本編(全12回)で取り上げることができなかった鈴木邦男氏(以下、敬称略)の赤報隊に関する発言を紹介する。 ご存じの通り、この連載では「鈴木邦男は本当に赤報隊に会ったのか」という謎をテーマに据え、生前の彼の言葉の数々を検証してきた。しかし、そこで取り上げた発言以外にも、彼は赤報隊に関して膨大な文章を書き残している。 その中から特に興味深い言葉を幾つかピックアップしたので、連載本編を読了した方々には是非これらの言葉にも目を通していただき、彼