「普通のフリ」をし続けて、いつか「普通」になりたかった。
繊細さんの中でも、人口のわずか6%と言われているHSS型HSP。
「繊細で内向的なのに、刺激を求める性格」
「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態」
HSS型HSPは、上記のように表現されることが多いですが、
まさに私はこの気質に振り回され、
矛盾した自分がバレないように、「普通」を演じて生きてきました。
でも、そんな付け焼き刃的な「普通のフリ」は
結局どこかでボロが出て、
いろんな場面でうまくいかず、悩みは増えるばかり…。
その度に、自己肯定感はさらに下がりました。
そんな私のできなかった「普通」と、「普通になりたかった自分」を受け入れるまでを綴ります。
①「普通」に人の輪に入れない
周りからはアクティブで社交的に見られるので、
勝手に周囲の期待に応えようとして、その場を回したり会話を盛り上げたりと無理やり明るい自分を演じて頑張ってしまう。
でも、どんなにその場が楽しくても、
一人になれば脳内で止まらない大反省会。
自分の一挙一動や発言が全て間違っていた気がして、
後悔と罪悪感で自分責めが暴走して、眠れない。
やっと寝れても、その場面が夢に出て飛び起き、
また自己否定のループで朝になっていることも。。
集団の中で感じる、圧倒的な「疎外感」も苦しかったです。
②「普通」に休めない
仕事でもプライベートでも、
平日でも休日でも、そして昼夜も関係なく、
頭の中は24時間フル回転状態。
常に脳内会議が起こっている状態で、
何もなくても考え事や妄想で頭がいっぱいで心身ともに休まらないのが、
私のデフォルト状態。
仕事のことを考えているかと思えば、
将来住みたい場所を妄想して調べ出したり、
何の前兆もなく急に過去の黒歴史を思い出して、その出来事を反芻して自分で自分を傷つけたり…。
単純に周りの物音や匂いや気配が気になってしまう感覚過敏もあるため、
ただただ「普通」に休むことも難しい性格です。
③「普通」の行動パターンを継続できない
衝動的な面と慎重な面が共存しているので、
場面によって行動パターンが真逆になってしまいます。
その時の直感や突き上げるワクワク感、逆に言語化できない不安に支配さえることもあるので、自分でもそれは予測できない。
例えば・・・
・考えるよりも先に行動してしまう(衝動的)
⇨フリーランスとして独立しよう!と思ったら、翌日には長年勤めた大企業に退職届を出しました。そして、退職日当日には、スキルなし・コネなし・実績なし状態で案件獲得の目処も立っていないのに、自分がやりた職種で開業届を提出するという行動力。
・納得いくまで情報をかき集めて調べてから実行する(慎重)
⇨PCを買うために10種類くらいのスペックを、何日もかけてメリットもデメリットも徹底的にリサーチ。
自分がとことんリサーチ・分析・比較しきって納得しきらないと、行動に移せない場面もあります。
慎重すぎる時もあれば、衝動的すぎる時もある。
あんなに心を奪われてワクワクしていたのに急に目の前が色褪せるように、ふと興味が失せることもあって、行動が予測不能な自分が嫌で仕方ありませんでした。
④「普通≒ニュートラル」に向き合えない
人に対しても自分に対しても、
ニュートラルに向き合うことが難しい。
感情や場の空気を深読みしすぎて、根拠のない妄想に苦しむので、
事実と普通の状態で向き合えていないことが多いです。
例えば、誰かの些細な言葉の裏を探ったり、
ちょっとした誰かの態度や視線の動きに傷つき、
その人の真意を勝手に妄想して深読みしようする。
ただそこにある「事実」に普通に向き合うことをせず、
自分の物差しで相手の真意を検証し出して、勝手に傷つき、思い悩んでしまう。
自己肯定感の低さゆえに、「事実」を「事実」として受け止められず。
自分の中でをこねくり回すことで、どんどん「普通」から遠ざかっていく感覚がありました。
「普通」になりたい自分を受け止めた
「私も“みんな”みたいに”普通”だったら、どんなに生きやすかっただろう」
そう思ってずっと、
周りの目を気にして、
人に嫌われないように、
コミュニティに所属できるように、
集団の中で浮かないように、
組織でうまく立ち回れるように、
必死で「普通」を演じてきました。
でも、どんなに頑張っても、結局ボロが出て、
いつの間にか輪からはみ出してしまう...。
その度に、疎外感や孤独感で押しつぶされそうになり、
「普通のフリ」すらもできない自分は社会不適合者だと感じ、
とても恥ずかしく、苛立ち、絶望していました。
でも。
そもそもよく考えると、
私が追い求めていた「みんな」や「普通」なんて、
どこにも存在しないのかもしれません。
ずっと誰かが作った世間一般の「普通」の枠に
無理やり自分を当てはめようとしていたからこそ、
自分を認められず苦しんできたんだと感じています。
ただ、そこにある事実を事実のまま受け止めて、
その時に感じた感情も自分で否定しない。
「ただある」ことに目を向けることで、
そこに自分の評価やジャッジを入れない練習を今も続けている中で、
「普通になりたい自分」もそのまま受け止められるようになってきました。
「普通」や「建前」・「こうあるべき」は全部ナシにして、
ただ自分の想いを大切に生きていければ、「普通の人」になれずとも、
私は私の人生を納得して、愛しいと思いながら生きていけると信じています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました🌼
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