ぎゅっとしたくなる言葉があるって幸せ。30歳になった今、大切にしている言葉
今日は、言葉についての記事を書かせていただきます。
私は昨年30歳になり、大切さに気づいた言葉があります。
これまでの人生の中で、
たくさんの言葉に救われ、
たくさんの言葉に心を動かされて生きてきました。
そんな今の自分に、毎日に、
幸せをじゅわっとしみこませてくれている言葉を3つ、
共有させていただきます。
①「足るを知る」
1つ目は、「足るを知る」です。
この言葉は、中国の思想家老子の言葉です。
元々仏教に由来する言葉ですが、
時代や人により解釈が異なる言葉でもあります。
本来の意味としてよく使われているのは、
「内的な可能性や現状に感謝をすること」です。
感謝の気持ちが大切というのはよく言われますが、
今ある自分自身の幸せに対して感謝することが結果、
自分以外のヒトやモノに対して感謝できるようになるのではと感じました。
心が狭い人間なので、むやみやたらに誰かに感謝なんて
心がすり減ってしまいそうと思うことも。
しかし、この言葉に出会ってからは、
まずは自分の幸せに感謝する、
そして自分以外のヒトやモノに感謝すると
窮屈な私の心に温かい隙間ができたような気がしました。
②「幸せはなるものではなく、気づくもの」
2つ目は、「幸せはなるものではなく、気づくもの」です。
正直、この言葉を初めて聞いた時は、
心のどこかに少しひっかかるくらいの印象でした。
しかし、徐々に私の心に住みついていきました。
「幸せになる」、「幸せになりたい」、「幸せになろう」という言葉に慣れていたので、「幸せ」は「なる」という動詞とニコイチだと思っていました。
この「なる」という動詞が、「幸せ」と手を繋いだ時
悪魔的要素を発揮します。
「先生になる」、「病気になる」、「悲しい気持ちになる」などという表現は、一度なるといったん区切りのような、まっさらな紙が白から黒になるイメージがあります。
一方で、「幸せになる」は、黒以外の色が次から次に足されていき、
今何色?ここで一回ストップしてもいい?もうちょっといい感じの色になるかもとなり、あれ、私今何を描こうとしてたんだっけ?と
キャンパスの中で迷子になる感じがあるのです。
結局何ができあがったのか、
何が描きたかったのかも分からない状態です。
無我夢中で幸せを求めるのもひとつの幸せですが、
ゆっくりじっくり誰も気づかないような幸せに気づくのもひとつの幸せ。
人生のテーマが「幸せの宝探し」だと、
それだけで超絶ハッピーですね!
③完璧よりご機嫌に
3つ目の言葉は、「完璧よりご機嫌に」です。
完璧でいようとする姿勢自体は悪いことではないと思います。
特に、向上心がある人ほどそのような傾向があるのではないでしょうか。
20代の頃の私は、完璧に完璧主義でした。
実際には、完璧になんて何ひとつできていないのに、
完璧を主たる義としていました。
25歳までは実家暮らしだったので、
当時は完璧にできていない自分が嫌で嫌で仕方なく、
家中に負のオーラを解き放っていました。
あの頃の自分にこの言葉をそっと手渡してあげたい。
そして何よりも、そんな負のオーラを
何も言わずそっと空気のように飲み込んでくれていた家族にとても感謝しています。
完璧でいるよりもご機嫌でいた方が
自分自身が楽になるのはもちろん、
何よりも周りとの関係が良好になります。
余談よりですが、統計学的な占いによると私は
「かっこつけたがる」、
「見栄をはりがち」、
「失敗しないように入念に準備する」
という星のもとに生まれているそう。
なので、「自分のダメな部分をもっと見せられたら人との関係もより良好なものになりますよ」、というアドバイスをいただくことがよくあります。
実際に、友達や家族に対して
ダメダメな自分、ゆるゆるな自分をさらけ出し、
得意ではないことを得意ではないと声を大にして言えるようになってからは
心で会話をしているような気持ちになり、
より深く長く付き合っていけるような関係性を築くことができました。
いかがでしたか?
きっと、今の自分だから
振り向くことができたと思います。
25歳の時の自分が、もしこの言葉に肩をたたかれても
きっと振り向きもしなかったと思います。
何度も何度も道草食ってきたから
この言葉を抱きしめられている自分がいる。
抱きしめたくなる言葉があるって、とっても幸せ!
みなさんも今ぎゅっとして離したくない言葉があれば、
シェアしていただけると嬉しいです!