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【ショートショート】1985年の贋作小話 その80 「阿部一族」

 酒に誘われたのはこれで三度目でした。わたしはいつだってうまく断ることができず、ついつい相手の調子に呑み込まれて誘われるままについてきてしまうのです。元来私は優柔不断で気が弱い性格なものですから、こんな私を仲間に引き入れたところで何の役にもたたないと思うのですが、彼らは熱心に私を勧誘するのです。
 彼らの派閥は社内で阿部一族と呼ばれていました。その一派の首領が阿部慎太郎という名前だったからです。阿部慎太郎はとくに仕事ができるというわけではありませんでしたが、持ち前の要領のよさで業界ではちょっとした顔になっていました。ですから会社としても、非公式な業界の情報を得るのに彼を重宝していました。役員昇格までもう一歩、社内ではそのように思われているようでした。
「オレのクラブを進呈するからさ、いっしょにゴルフやろうじゃないか。きっと楽しいぜ」
 そんなふうに切り込んできたのは一族のナンバーツーでした。今回はじめて同席する阿部慎太郎の腰ぎんちゃくです。一回目と二回目は下っ端からの勧誘でしたが、私がのらりくらりとはっきりしないのに業を煮やして御大がが出てきたということなのでしょう。
 私はゴルフなどこれっぽっちも興味がありませんし、休日をつぶされるのは御免こうむりたいのであっさりと断ってしまいたいところなのですが、例の優柔不断さを発揮してぐずぐずと煮え切らない態度をとっていました。
「ゴルフですかぁ。そうですねぇ。楽しいですかねぇ。どうでしょうねぇ」
 彼らが私を欲しがる理由は、おぼろげながらですが最近わかってきたような気がしていました。落ちこぼれ社員を自認する私のことを、どういうわけか社長が憎からず思っているようなのです。社長はよく私を呼びつけ、私など関わるはずのない重要事項について意見を求めることがあります。しかし、私はそこでも「そうですねぇ。どうでしょうねぇ。いいんじゃないですかねぇ」とか、「そうですねえ。どうでしょうねぇ。やめといたほうがいいんじゃないですかねぇ」とかのらりくらりやるだけなのですが、社長はそれでも満足なようなのです。そんなことはあり得ないのですが、阿部一族としてはもし私が社長から阿部慎太郎の人物評を問われて「そうですねぇ。どうでしょうねぇ。あんまり感心しませんねぇ」などどやられると困ったことになると考えているようなのです。
 もちろん私は阿部慎太郎なる人物に何の感興も持っていませんし、出世しようがしまいがどっちでもいいのですが、阿部一族としては私のことをフィクサーのひとりだと思い込んでいるふしがあるのです。まったく迷惑な話なのです。
「広々とした芝生と青い空。解放感あふれる自然の中でクラブを思い切り振りぬくのは気持ちいいもんだよ、キミ。仕事を離れてする仲間との談笑、汗をかいたあとの一杯のビール、たまらんよ、キミ」
 ああ、めんどくさい。きっぱりと断ってしまう勇気がありさえすれば。私は今更ながらに自分の性格を呪いました。

 次の日、私は社長室に呼び出されました。
「阿部慎太郎っているだろ。ずいぶんと社内で勢いがあるみたいだね」
 社長が私に何を期待しているのかはわかりませんが、私としては正直に答えるしかありません。
「そうですねぇ。どうでしょうねぇ。感心しませんねぇ」
 それは入社して初めて私が口にした他人への批判でした。

 しばらくして阿部慎太郎は役員に就任しました。私が社長に言ったことがどのように影響したのかはわかりません。もしかすると、社長は私の意見を会社の利益の対局としてとらえているのかもしれません。どういう形にしろ、誰かの役に立つということは悪いことではないのです。
 阿部慎太郎が役員に就任してからは、一族の誘いはぱったりとなくなりました。たまには誰かの悪口も言ってみるものだと、私は思いました。

                           おしまい

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