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【ショートショート】1985年の贋作小話 その64 「ソクラテスの弁明」
判決を前に彼は証言台に立ち、意見陳述に臨みました。誰もが彼の最後の言葉を固唾をのんで待っていました。彼がたとえ死罪を言い渡されたとしても、決して控訴しないことは皆がわかっていました。それほど、彼が信念に貫かれた人だということを皆は知っていたからです。ですから、弁護人も、傍聴者も、検察でさえもが、彼が公の場で放つ最後の言葉に自身の人生の指針を見出そうとしていたのです。ところが、彼が最初に放った言葉はまったく意外なものでした。
「わたくしは死にたくはございません。ですから、どうか許していただけないものでしょうか」
もう論告は言い渡されています。判決が死罪になるのはほぼ間違いありません。傍聴席にざわめきが起こり、裁判長がそれをたしなめました。
「わたくしは死に直面して、はじめて死ぬことへの恐怖を肌身に感じております。この公判のあいだじゅう、わたくしはどうすべきなのかを考えておりました。命を取るか、それとも哲学を取るかを。そして、わたくしは命の方を取りとうございます。わたくしがそのように申しますと、絶望する人や落胆する人が大勢いるのはわかっております。そして、わたくしは一生のあいだ、わたくしの裏切りに憤怒する人々のそしりを背負いながら生きていかなくてはならないでしょう。それでも、わたくしはまだまだ生きていたいと思うのでございます」
「わたくしはこれまで、人間は哲学のみのために生きるものだと信じておりました。なぜなら、神がそれをお望みになっていると信じていたからです。しかし、わたくしは長い牢獄生活の中で、次第にそれを疑問に思うようになってきました。そう思うようになったきっかけがございます。ある日、鞭打たれて血を流している腕の傷をじっとながめておりました。牢獄ではやることもないものですから、わたくしは朝から晩まで、目が覚めているあいだじゅう、その傷口をながめておりました。垂れ流れていた血はやがて固まり、粘度の高い赤い液体の塊へと変わっていきました。それは、時間とともに端の方から徐々に赤黒い固体へと変わっていきました。いちばん厚い塊がすっかりと固体に変わるのには、だんぶん時間がかかったように思います。わたくしはそのかさぶたを触らずに、そっとしておきました。かさぶたは触らずとも、やはり薄い塊のほうから徐々にわたくしの体を離れていきました。自然に剥がれていったというわけです。いちばん厚いかたまりが剥がれてしまうまでには、またもや長い時間がかかりました。一筋の白い跡が腕に残りました。それでも何日も日を重ねるにつれ、その跡もなくなり、もうどこを鞭うたれたのか分からなくなりました」
「わたくしは、わたくしのからだが、哲学などとは無関係に生きようとしているのだということを発見しました。哲学、あるいは思想、あるいは信仰が生きることそのものであるという神のご意思があるのであれば、この肉体の現象はだれの意思なのでしょうか。神を信じなくなったというわけではございません。ただ、わたくしというものが、神のご意思だけで出来ているのではないのではないか、自らの意思で肉体を滅ぼすことは、もしかすると神よりももっと大きな意思に逆らうことになるのではないか、そのように思うようになったのでございます」
公判に臨んだ誰もが彼の言っていることがわかりませんでした。その時から、彼は哲人ではなく狂人として扱われるようになりました。そして、神を冒涜したとして、どれほど命乞いをしてみても死罪を免れることはできませんでした。
おしまい