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【ショートショート】1985年の贋作小話 その77 「或阿呆の一生」

 晃次郎は裕福な商家の次男坊として生まれましたが、困ったことに生来彼には商いの才覚が爪の先ほどもなかったようです。物心つくころから彼は算盤の代わりに釣竿に親しみ、暇さえあれば、いいえ、両親から何を言いつけられていようとも、そんなことはほっぽり出して近所のため池に釣り糸を垂れているのが常でした。
 それが幼い頃の一時的な熱中で終わればよかったのですが、晃次郎はいくつになっても飽きるということを知りませんでした。商売が両親から兄夫婦に引き継がれたのちも、晃太郎は兄の商売を手助けしようなどという気はさらさらありません。相変わらず、あちらのため池、こちらのため池に彼の姿を見ない日はありませんでした。兄の商売仲間や近所の連中も、「あそこの次男坊は少し頭が足りないに違いない」そう決めつけていました。
 世間体を気にする兄はついに晃次郎に勘当を言い渡しました。
「兄弟の情けでいくばくかの金子をおまえにやろう。その代わり、金輪際うちの敷居はまたがせないからそう思え」
 晃次郎はもらった金子で町のはずれに小屋を建て、そこを住まいとしました。残った金で当分の食い扶持はあります。晃次郎にはそれでじゅうぶんでした。先のことを心配するよりも、今日この日に思う存分竿を振れるよろこびのほうが何倍も大きかったからです。
 そうやって何年も何十年もが経ちました。もう何万匹の魚を釣り上げたかわかりません。それにもかかわらず、晃次郎は釣りに飽きてしまうことはありませんでした。さすがに兄からもらった金子はすぐに底をついてしまいましたが、釣ったフナやコイを火であぶって米にかえることもできましたし、心優しい兄嫁が兄に内緒で小遣い銭を届けてくれることもありました。その日暮らしには違いありませんでしたが、晃次郎は不安に思ったことはありませんでした。商売の才覚がなかったことと同様に、三日先のことを思い悩む才覚にも欠けていたことが幸いしたのでした。
 もう晃次郎の髪も真っ白になっていたある日、彼はいつものようにため池に釣り糸を垂れていました。よく晴れた春の日で、池のフナどもは産卵のために浅瀬でさかんにばしゃばしゃと尾ひれを振るっていました。
「ああ、飽きないってことはなんて素晴らしいことだろう」
 晃次郎はひとりごちました。
「兄さんや姉さんにはほんとうに申し訳なかった。ふがいない弟をもって、さぞかし肩身が狭かったろう。それでも、でも・・・」
 晃次郎は釣竿を握ったままこと切れていました。何ひとつ成したこともなく、誰の役に立ったこともない晃次郎の死はほとんど世間の口にのぼることはありませんでした。ただ、ひとり阿呆が阿呆のまま死んだというだけのことでした。
「それでも、でも、ほんとうに幸せな一生だった」
 こと切れる前の晃次郎のひとりごちを聞いたものは、当然のことながらだれ一人としていませんでした。

                            おしまい


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