【ショートショート】1985年の贋作小話 その81 「イージー・ライダー」
噂の女はバーカウンターの隅でウェイトレスを相手に談笑していた。丈の短い真っ赤なボディコンシャス。大きく開いた背中をカールしたブロンドが撫でている。ときおり髪をかきあげる仕草で横顔がちらりと見える。悪くない。
名前は知らない。でも、彼女を多少でも知っている男は彼女のことをこう呼んでいる。イージー・ライダー。簡単に乗る女。もちろん、彼女の前ではそう呼んだりはしない。彼女にとって、それは不名誉なあだ名に違いないのだから。
難しい裁判にかかりっきりになっていた。私が出す判決に国中が注目していた。これが最初の判例となるからだ。国民の反応はおおむね良好だった。ほっと胸をなでおろしたついでに、久しぶりに羽根をのばしたかった。手軽な女を相手にしたところでバチは当たらないだろう。知り合いが教えてくれたのが彼女、イージー・ライダーだった。
手順さえ踏めば彼女は誰とでも寝てくれるのだと知人は言った。口説くのではなく、あくまで手順を踏むのだと。手順は三つの行程から成り立っている。簡単なことだ、と知人は言った。そして、実際それは至極簡単なように思えた。
私はウェイトレスを追い払い、彼女の隣の止まり木に腰をおろした。そして、バーテンダーに言いつけて甘いマティーニを彼女の前に置かせた。彼女はグラスの細い足を軽く持ち上げると私に黙礼し、グラスの縁にほんの少しだけ赤い口紅の跡をつけた。第一の手順はうまくいったようだ。
ふたつめの手順。深海生物の習性について、あるいは気象観測の歴史について、あるいはユーラシア大陸の地層分布について、その他自然科学についてのレクチャー。これはひとつ目の手順と違ってやや知性を必要とする行程だ。どれも私の専門ではないが、私の博識をもってすればものの数ではなかった。私は紀元前のギリシャ人が丘の上に女を一日じゅう立ちんぼうにさせて、そのなびく髪の方向と角度から風向きと風量を測定したという話をしてやった。彼女はその話をとてもよろこんだ。
「髪をカールさせた女じゃダメね。角度が正確に測れないわ」
女はいい匂いをさせてブロンドをかきあげた。
ここまではうまくいっていると私は思った。彼女は私との会話を楽しんでいるようだったし、ときおり私の顔をのぞき込む瞳は潤んでいた。
最後の手順。私は内ポケットからまっさらなカードを取り出した。彼女に五枚、自分に五枚。これは少々運を必要とする行程だ。私が勝てば三十分後に我々はベッドの中にいるだろう。おたがいに二枚ずつ切り、山から新しいカードをめくった。ワンペアとスリーカード。私の勝ちだ。
「さあ、行こうか」私は早速止まり木から腰を浮かせた。ところが、彼女は申し訳なさそうにしながらこう言ったのだ。
「ごめんなさい。今日は行けないわ」
そんなはずはない。すべての手順を完璧のこなせたはずだ。なぜ今日に限って拒否されなければいけないのだ。
「ごめんなさい。家に運転免許証を忘れてきたの」
私は法の番人だ。彼女の順法精神に敬意を表し、今日のところはあきらめるしかなさそうだった。
おしまい
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