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【ショートショート】1985年の贋作小話 その75 「千夜一夜物語」

 観覧車は小高い丘の上から町を見下ろしていました。それはとても巨大な観覧車で、貧相な丘は仁王様に踏んずけられた小鬼のようにも見えました。でも、観覧車はそんなことはお構いなしに、いつでもどこか遠くの方を見ていました。
 観覧車はとても巨大で、そしてとても真っ白でした。車輪やスポークはいうまでもなく、何十と連なったゴンドラもすべて真っ白でした。遊園地にある観覧車のように楽しげな色はどこにもありません。それはおそらく、この観覧車が夜にしか動かないからだと思うのです。夜の闇には、楽し気な色など必要ないのです。
 ある冬の日のこと、わたしはとっぷりと日が落ちてから丘を登りました。そして、唯一明かりのついている番小屋の窓口でお金を差し出し、「大人一枚。六歳から八歳まで」と白い息で告げました。
 ゴンドラの中はとても居心地よく作ってありました。向かい合った席はふかふかで、無理をすれば十人は座れそうでした。天井の送風口からは暖かい空気が吐き出されていました。もちろんどこもかしこも真っ白です。わたしは海がある方角の窓際に落ち着くと着ていたコートを脱ぎ、ひじを窓枠にのせて頬杖をついて観覧車が始動するのを待ちました。そして、かたん、という音をたててゴンドラが動き出したときには、わたしはもう夢の中にいたのです。
 夢にはまず、若くて美しく、優しい母があらわれました。母は学校から帰ったわたしのために、食パンを牛乳に浸してフレンチトーストを作ってくれました。たっぷりと砂糖をまぶし、温めた牛乳といっしょに、カエルの漫画が描いてあるお盆にのせてわたしの前に置いてくれました。わたしはおやつを食べ終えると、同級生と連れ立って野良犬が生んだ子犬を見に行きました。子犬は空地の塀に立てかけたトタン板の下で、身を寄せあってくんくんと鼻を鳴らしていました。母犬の姿はどういうわけか見当たりませんでした。わたしは家から牛乳を持ってくると主張しましたが、友達のひとりが母犬はきっと戻ってくるはずだと言い張ったのであきらめました。でも結局、わたしたちがいるあいだは母犬は戻ってきませんでした。
 わたしは子犬が欲しくてたまらなくなりました。母に犬を飼いたいと頼みましたが、母は首を縦には降りませんでした。わたしの飽き性と朝寝坊が生き物を育てるのに向いていないと思っていたようでした。わたしはその夜、かんしゃくを起こして泣きわめきました。そして、そのまま風呂にも入らず眠ってしまいました。
 夢は現実と同じ時間の幅をもって連なりました。六歳から七歳へ、七歳から八歳へと、母や友達と過ごした時間そのままが夢に映し出されました。
 わたしの六歳から八歳の三年間は、わたしにとってかけがえのない三年間でした。その三年間の思い出があるからこそ、この歳になるまで生きてこられたのだといっても過言ではありません。ろくでもない人生の、ほんとうに一瞬のことのようでしたが、そこだけが明るい色をして記憶の帯の上で光り輝いているのでした。

 かたん、という音がわたしを目覚めさせました。ゴンドラは眠りに落ちたときと同じ場所に戻っています。夜が明けてきているのでしょう、闇は光に薄められて色がつきはじめています。
 わたしはゴンドラを降り、冷たい朝に足を踏み出しました。また朝が来たのです。また生きなければいけない一日がはじまったのです。

                           おしまい

 

 

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