自分の使命に出会ったかもしれない。
日本人なのに日本の歴史を語れない
私の日本人としてのアイデンティティは、欠落していたという事が、40歳になって初めてわかりました。
きっかけは、「流れる雲よ」という、太平洋戦時の特攻隊をモデルにしたミュージカルを観劇したことです。
今、私たちがここで生きているのは、紛れもなく先人たちのおかげで、(戦争の事はおいといて)先人たちの歴史に感謝する事なく、先人たちの考えを知る事なく、我が物顔で自分の人生を生きるのは恥ずかしいなと、そう感じました。
前座で、日本建国について、私たち日本人は誰からも習っていない。という話を聞き、これまでもその様な話を聞いたことはあるのに、なぜかその時に静かに衝撃を受けました。
古事記も、日本書紀もテストに出るから名前だけ覚えていました。
伊勢神宮も出雲大社も行ったことあるのに、全くその意味を知らず、敬意をはらった訪れ方をしていませんでした。
もっと、自国の事を知るべきだなと思いました。
日本の始まりの書に少し触れただけで自分の在り方が見えた
それから、もっと知ろうと、古事記や歴史を学んでいこうと思い、図書館で本を借りました。
色々思うことはあるけど、現代に生きる私たち日本人は、「個」に寄りすぎていると感じます。もともとは、そうではない民族なのにです。
それは、日本人のアイデンティティを失ってるからなんだろうなと、改めて感じています。
何でも口に出して自己主張できる欧米人の文化がいい
日本人は思ってることを言えない
「みんな仲良く」しなくてもいい、自分を大切にしよう
その考え方は、「そうなのかもなー」と思っていました。
でも、実はそうでもないのかも…?
と、思い始めています。
自分の中に見つけた日本人としてのアイデンティティ
私は、周りのみんなも、全員で幸せになりたいと、なぜかその様に思っています。
なぜそんな風に思うのかわからなかったけど、私の中に日本人としてのアイデンティティが少し残っているんだと思いました。
それは、私だけではなくて、今生きているみんなに残っているんだと思います。
だから、日本人は親切で人のために動ける民族だと世界の人が言ってくれてるんだと思います。
でも、これはちゃんと残していかないと確実にどんどん薄れていって、あと何十年も経てば、「みんな仲良く」は完全否定されて、「個人主義」の人たちで溢れてしまうんじゃないかと、そんな風に思います。
子どもたち、孫たちが生きる日本が、
「思いやりのある、親切な民族が住む国」で
あり続けてほしいです。
それは、「自分を無くして我慢して他人に合わせる」わけではなく、
自分を持ちながら、自分も相手も否定しなくても「みんな仲良く」
は実現できると思うのです。
私が感じた使命
古事記は、日本の成り立ちや神話を後世に正しく伝え残していく事を目的として作成されたそうです。
こんなタイミングで、この事に触れることができて、私は何かに導かれてるのかな…と不思議な気持ちになりました。
私も、今絶対に残していかなければいけない歴史や想いや、文化があると実感しています。
少し前に友人ママさんと「想いを紡ぐ出版社」という、書籍出版サービスを立ち上げました。
私がやりたかった事業の一つとして、
子育てのママさんたちのキャリアを一緒に叶えていく、デザイン事業に仕事をしていきたいという想いがあるのですが、
そこに仕事が作れるなー。そして本を出したい人のお手伝いができるなんて素敵な仕事だなー。
と、ワクワクした気持ちでした。
でも、そのサービスを「売る」ということにどこかネガティブな気持ちを持っていました。
私にとって生活のための仕事として捉えていたのだと思います。
でも、今はこれは私の使命なのかもしれないと感じています。
沢山の人と出会い、この事業を通じて残すべき想いや歴史を、
家族の物語を紡ぎ残すお手伝いをしていきます。
それこそが、子ども達や私達が誇りに思える日本になっていけると思っています。
日本はオワコンなんかじゃない。みんなで取り戻すことができると信じています!