美しき感情
会いたい、と一言、メッセージアプリに通知が入る。
意味もないつぶやきなのかもしれないけど、彼女なりのSOS可能性は捨てきれなかった。うまく噛み合わないことも多い私たちはあまり積極的に会おうとはしなかった。得てして私は、私も話したいことがある、と簡潔にメッセージを返すに至ったのである。
おかしい、と気がついたのはもう二、三件メッセージをやりとりしてからだ。かくかくしかじか、現状をつらつらと書いてくる彼女の姿をもう人生の半分以上を一緒にすごしながらも見たことがなかった。
綺麗な人間だ、彼女は。屈強で、真っ直ぐで、真摯で、どこまでも自分を持っている。煙たがれることも多かったが、私はその真っ直ぐさが嫌いで、眩しくて、でも、愛していた。この世界はどうやら綺麗なものが嫌いらしい。さも、真っ直ぐでいなさい、自分を持つのが偉いという顔をしているくせに。仕方がない、曲げないと生きていけないことも世の中あるのよ、と疲れた顔をした大人は言うし、かく言う私もその疲れた顔の大人の一員なのだけど。すごく、すごく、羨ましい、真っ直ぐなままの、純粋な、透明なままの彼女が。
洗濯機が音を鳴らす。掃除機をかけなくては、私は彼女とやりとりを続けるスマートフォンを置いた。
確かめるように、彼女との思い出をなぞっていく。違うんだよ、と私がかつて彼女に叫んだ言葉が頭の中で反響する。つぶやくように、彼女はごめん、といった。
定期コンサートの頃だ。戸惑いながら、でも、彼女は絶対に自分の意思を曲げない、分かりきっていた。なぜかその時の私を見る透き通った目が私の頭に、焼き付いている。
にがみが口に広がる、食べ物じゃない、なんか、よくわからない。ぬるり、と嫌な錯覚。粘つくような口の中が気持ち悪い。
飲み物を飲もう、流し込まなくては。吐きそうなほど、苦い何かを、ぬるいオレンジジュースで嚥下していく。ひどく甘ったるくて、気持ち悪くて、眩暈がした。不思議と、頭は軽いのだ、酩酊感。蛇のように、首元に何かがまとわりついているような感覚は、卒業を迎えたあの日からずっと抜けない。
欲しがるように、彼女が私に手を伸ばしている、その手が私の首を掴む、生暖かい彼女の体温が、私の呼吸を。まるで、本当に首を絞められているかのような息苦しさで涙とともに目が覚める、いつものこと。未知の感覚のはずなのに、どこか知っているような息苦しさに薄暗い気持ち良さを感じる私が、嫌いだ。
昔、彼女の細くて白い指が、助けを求めるように私の手首をゆるく、握った。珍しいね、そんなつもりはないのに息を吐き出すように、かすれた声が漏れた。
もう、なんでそんな、緊張でもしているの?
やだな、そんなわけないよ。
指先が頬をかすめた。喜ぶ顔をした彼女が私の瞳に映り込む。
来年、一月半ばに、彼女と会うことにした。理想のままでいてほしい、私は、彼女に、彼女のままで。瑠璃色の瞳が、私の瞳を射抜いて、私を射すくめて、また、息が止まるような。恋愛とは、また違う、これは、一言で言えばなんだろうか、執着。論理が破綻している黒々とした、赤々とした感情に私は囚われている。
私は、彼女が、好きで、嫌いなのだ。
ー2019.10 部誌寄稿 執着、吐き気、君を。