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「手間」の数だけ生まれる会話。
どんな時代であっても「会う」というコミュニケーションには、きっと勝てない。
ここ数日、ひさしぶりにいろんな人に会っています。打ち合わせ、お仕事の依頼、偶然の出会いなどなど、なんて言ったらいいのでしょうか、この3、4日の間に次につながりそうな「会う」がたくさんありました。
実際に会った人たちとも、SNSの「いいね!」のやり取りや、オンラインで連絡は取り合っていたので、なんとなくコミュニケーションを交わしていた感覚だったけれど、やっぱり「会って話す」の熱量には勝てないなって。
さぼっていた訳ではないのですが、少しやるべきことに追われてしまい、丁寧にやりたいところがしばらくできたいなかったみたいです。それが少し、もくもくモヤモヤとあたまの中にあって。
寝かせたままの企画を練り直したり、改めて大事にしたいことを思い起こしたり。そんなきっかけが「会う」にはあって。
なんだかんだで、ここのところしばらくの間、いちばん考えたいことを考えられていなかったことに気がつきました。なんでもない話をしながらわくわくしたの、いつぶりだったんだろう。もちろん、それを実行していかないと意味はないのですが、そのために必要なエネルギーがちょっと不足していたみたいです。なんかやる気がみなぎってきた。やっぱり、人から伝わる熱っていいですよね。
「会う」というのは、確かに手間がかかることではあるのですが、時代がどれだけ便利になって「会えない」時間が埋められたとしても、わざわざ足を運んで「会って話す」ことの価値は変わらないんだろうなって思います。
「徒歩」の「価値」を見つめ直そう。
インタビュー記事とか対談記事のおもしろさも、わざわざその場にいる人たちの熱量に比例するんだろうな。
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