快いバランスを求めて
私は主に人間関係で「最適なバランス」を見つけたいと常々思っていた。
それは思い返せば高校生のころから。
もしかすると中学生くらいからかもしれない。
「最適なバランス」さえ見つけられれば、毎日が楽しいはずだと。
おしゃべりとクールダウンの「最適なバランス」、
おふざけと真面目の「最適なバランス」、
感情を表に出すと出さないの「最適なバランス」、
構うとそっとしておくの「最適なバランス」、
求めるとガマンするの「最適なバランス」…。
オシャレで憧れられる、と、ダサくて親近感がある、では、
私の中では、ダサくて親近感があるほうにやや寄るというのが
「最適なバランス」だと信じ込む節があった。
最近まで気づかなかったが、私の場合は、裏目に出て
ただダサい人で、「ぜひ友だちになりたい!」とは思ってもらえない人だった。笑
私はカメレオンのようなタイプで、相手の求める人を演じる人のようだという自覚がある。
生まれながらの助演女優なのだろう。
「これ面白くない?」と言われて、本心に背いて「面白い!」と言ってしまうこともあったし、
ライブに行けば開放的な人になり、兄弟の前では暴君になり、友だちのまえでは変にキャラの立った人だった。
(あれ、これ書き出してみると別に普通のことじゃない?)
自分の多様性を認められなかった。
自然にやっていることなので、自分自身が多重人格かと心配になり
海の中の海藻のようにユラユラ揺れる自分を、定規をくくりつけて、真っ直ぐに矯正しようとした。
ある時は「◯」と答え、別のある時は「□」と答えるなんて
あってはいけないと思っていた。
自分自身の「最適なバランス」は、整合成のとれる人格と思っていたのだろうか。
結論から言って、これは、間違っていた。
長らく定規を当てて生きていたが、すっかり笑顔がなくなっていた。
自分は笑っているつもりでも、カメラを向けられた時に微笑むのが精一杯で、
日常では歯を見せて声を出して笑うことができないのだ。
そして、笑えてないことにも気付いていなかった…。
私の求める「最適なバランス」とは、結局何だったのか。
「これが最適なバランス」と判断すること、なのかもしれない。
例えば、ママ友と薄っぺらい会話しかできないとしたら、
「これが彼女との、今の最適なバランスだ!」と判断する。
例えば、夫と以前のような情熱的な関係でなくなっていたとしたら、
「これが夫との、今の最適なバランスだ!」と判断する。
その状況の善し悪しは気にしない。
今はたまたまこうであり(今後変化しうる。)、
今はこれがベストだからそうなっていると判断するということなのだ。
(そもそも追い求める「最適なバランス」は幻想のような気すらする。)
同じ海藻でも、コンブのように「最適なバランスだと判断する私」という根さえ張っていれば、
「人との距離感」も「人間関係」も「私という人格」だって
ユラユラ揺れてもいいんじゃないかな、というのが今のところの答えなのであ〜る。
自分でもちょっと意味のわからない話になってしまった。笑
今日はこれが「最適なバランス」なのだろう。(こら。)
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