埼スタの神様 Football がライフワーク Vol.10
日本代表の異変は、視聴環境に限ったことではなかった。カタールW杯アジア最終予選の3試合を終え、すでに2敗。第4戦はホームゲームとはいえ、相手は連勝街道をゆくオーストラリア。早くも灯されたのは、かなり明瞭な黄信号である。
初出場の1998年フランスから、直近の2018年ロシアまで20年。6大会連続ともなると、国民もW杯出場に慣れてしまった感がある。しかしながら、いまや「強豪」として他国にマークされ、新興勢力も台頭してきたなか、アジアを勝ち上がるのは容易いことではない。世間に、出場できて「当たり前」かのような思い込みや思い上がりが蔓延していたとすれば、それこそが苦戦の遠因ではないか。
日本代表が時として不憫に思えるのは、必要以上に大きな責任を負わされているように映るためだ。クラブチームに確固たる存在が不在という国内事情もあって、絶対的な人気と注目を集めてきた。それだけに、この国のフットボールの命運は、ひとえに代表チームの浮沈に委ねられているといっても過言ではない。3年前のロシア大会、決勝トーナメント進出をかけたポーランド戦では、その悲哀が極まる姿を見せしめられた。リードされながらいたずらに自陣でパスを回し、他会場の勝敗をもって勝ち抜けをはかる「他力本願と負け逃げ」の選択は、3度目の決勝トーナメントでベルギーとの熱戦に繋げたことで、結果的に成功したのかもしれない。ただ、醜態を晒してまで自国のフットボールの地位を守ろうとしたイレブンの姿は、ひどく気の毒だった。勝利と結果を、是が非でも追求せざるを得ない。それは残念ながら、わが国のフットボール人気が、いまだ日本代表に依存し、その躍進を前提とした「条件付き」の域を出ないためだろう。
負ければ絶望的、引き分けでもかなり厳しい状況で、日本はオーストラリアを破って踏み止まった。君が代に涙ぐんだ森保監督は悲壮な決意を滲ませ、抜擢に応えた田中碧の先制点で勢いづくも、後半はフリーキックを叩き込まれ同点。しかし、ここからがこのスタジアムの真骨頂だった。2004年のオマーン戦の久保竜彦に始まり、2005年は北朝鮮戦の大黒将志、2011年は再び北朝鮮戦で吉田麻也、2016年イラク戦の山口蛍と続き、直近は2017年オーストラリア戦の井手口陽介。日本がテレビ画面の右から左へ攻めたとき、埼玉スタジアムは、これまで幾度も劇的なゴールを生み出してきた。今回の立役者は監督の愛弟子、浅野拓磨。シュートがキーパーの掌からこぼれ、ディフェンダーがクリアしきれずゴールイン。会心の決勝点とはいかなかったが、このスタジアムのこのゴールは、やはり人知を超えた力を宿している。日本のフットボールに無条件の人気は無くとも、神様ならついているのかもしれない。