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権力者に優しい社会 運動神経が悪いということ Vol.11

ときどきニュースで見かけては、たいてい舌禍で話題になっているのが隣の市長だ。一昨年は、職員に対する暴言問題が表面化して辞職するも、出直し選挙で再当選。当時、初期の報道では暴言の部分がフォーカスされて厳しい意見が大勢を占めたものの、やり取りの全容が明らかになるにつれて市長を擁護する声が盛り返し、そのまま選挙結果にも反映されたのだった。「市民を思う気持ちからの発言だ」「会話の前後を鑑みれば暴言ではない」などという好意的な意見が私の身の回りでも聞かれ、いたく失望した。このような感覚が、世にブラック企業を蔓延させ、パワハラを横行させる土壌になっているのではないか、そんなことさえ考えた。どんな文脈であれ、「火ぃつけてこい!」などと口走る人を、私は信頼できない。心のたがが外れたのが原因だとしても、そんな瞬間に表れるものこそ、人の本性だと思う。

察するに、市長は実務能力の面では申し分なく優秀な人なのだろう。かつ、熱心に市政に当たってきたのだろう。しかしこの世間は、優秀で熱心な人に甘過ぎはしないだろうか。能力や業績を絶対視するあまり、人格を見極める洞察力が廃れてしまってはいないだろうか。やり取りが周到に録音されていたあたり、かねてから市長の暴言は日常茶飯事で、敵対感情を持つ職員が少なからずいたものと推察される。このような状況下では、市民に寄与する政務など望むべくもないだろう。能力や業績は立派な財産に違いないが、万能の免罪符にはなり得ないはずだ。

暴言癖のある人間にとって、いまの世間はさぞかし居心地が良いのか、過ちは繰り返されている。「運営業者を変えてやる」先日もまた、報道されたのは市長の口から出た禍だった。言った言わないで当事者同士の主張は食い違っているが、活火山のような性質は健在のようだ。相変わらずといえばこちらも然りで、このたびは「コメが美味しいのは温暖化のおかげ」だと発言したのは元首相。もう一人の元首相と前幹事長を加え「3A」とも称されるようだが、もしや、当代日本の実力者は3人寄ってもメジャー未満なのだろうか。地位が盤石なうちは、何を言おうがどう振る舞おうが許されてしまうのだとしたら、世の悲しい現実が思いやられる。

強い者にばかり、やたらと優しいのはなぜか。近年、そんな疑問や違和感を抱くことが多くなった。今年の上半期には、オリ・パラ組織委員会長の後任に推す声もあった「3A」の一角をさして、「あの人は国民に嫌われてる」とコメントしたお笑いタレントが、一部「ネット民」に批判されたことがあった。先日の衆院選でも、開票特番のMCを務めたお笑いタレントの振る舞いが「失礼」だと炎上した。いずれも、他愛も無い個人の感想、芸人としてのサービス精神の範疇だろう。あながち的外れでもないと思うのだが、そんなに目くじらを立てる必要があったのだろうか。それとも、一切の異論反論が許されず、風刺する余地も無く、国民が一様に護ってあげねばならないほどに、この国の「権力」なるものは堕落してしまったのだろうか。

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