彩りを探して 第3のリベロ Vol.13
昨年の大晦日、ハードディスク録画を再生したのはapbankfesのハイライトだった。名だたるアーティストが共演する良質のステージにとどまらず、災害復興支援やアートとのコラボに加え、循環システムを採り入れた農場の開発など、多角的な活動を展開するこのイベントは、いつか参加してみたいと憧れるフェスだ。小林武史と東京工大の伊藤亜紗教授が「利他」をテーマに語り合い、CMソングとして聴いたことがあるという程度の記憶しかなかったミスチルの楽曲の印象が改まり、一年の終わりに良いものが観られた。
年が明けて半月が過ぎても、保存した録画を何度か見直し、「彩り」はヘビロテソングとなった。「僕のした単純作業が この世界を回り回って まだ出会ったこともない人の 笑い声を作ってゆく」善行や能動的な行いとは似て非なるもので、誰かをコントロールするわけではなく偶然によってその潜在能力を引き出すもの。この曲こそは、「利他」を具現したメッセージに聴こえてくる。桜井和寿という人は、何とも心憎い人だと思う。実も華も兼ね備えた紛れもないスターでありながら、社会の隅で這いつくばる庶民に寄り添う言葉をも紡ぎ出すこともできるのだから。例えば、たまに難しい本を読破しても、翌日の仕事には少しも役に立たない虚しさに苛まれたとき。「少し自分が高尚な人種になれた気がして 夜が明けてまた小さな庶民」当事者が思い浮かばない表現を、見事な曲に乗せて代弁してくれる。
数年来、好んで観る音楽番組は「関ジャム」だ。昨秋のゴールデン帯には、ミスチル、スピッツ、あいみょんなど人気アーティスト9組の楽曲について、プロが選んだトップ10を紹介するという企画が放送された。最大の楽しみは、自分もおぼろげには感じつつも表現できないことを言い当て、「そういうことか」と納得させてくれるプロの選評だ。スピッツについて「草野さんの声には、難しい言葉を歌っていても、そう感じさせない魔法が宿っていると思います」と評したいしわたり淳治のワードセンスは、いつもながら脱帽したくなる。ミスチルの1位は「Tomorrow never knows」、私がもっとも好きな「掌」はトップ10にすら入っていなかったとはいえ、決して堅苦しくはないほど良い蘊蓄により、プロ一流の洞察で視聴者に新しい知見を授けてくれる構成は、スポーツなど他のジャンルの番組も見習ってもらえないものかと、かねてから期待している。
「大豆田とわ子と三人の元夫」のエンディング「Presence」や、スピッツの「紫の夜を越えて」。自分もiTuneで買った曲が選ばれると、何だか光栄な気分になる。「関ジャム」の年始恒例企画が、プロの選評を堪能できる年間ベスト10。今年の選者は、レギュラー格のいしわたりと蔦谷好位置に加え、紅白でのパフォーマンスも話題になった藤井風などのプロデュースを手がけるYaffleという顔ぶれ。3人中2人が選んだ「Presence」は、ストリーミングでスキップを多用するなど「余白」を消し去ることが習慣になった現代で、毎話異なるエンディングを流すというテレビドラマならではの発想を含めメディアミックス作品として秀逸で、「紫の夜を越えて」の「なぐさめで崩れるほどのギリギリ」という歌詞は、慰められた時に「気を遣わせた」と感じる名状し難い心情の発見だという解説が印象に残った。楽譜の構成など、専門的な話になると理解不能に陥るのは残念だが、宇多田ヒカルや髭男はプロも唸るほど凄いということだけはわかり、それを伝えてくれる語り手の知識や熱量に感心させられる。もうすぐ、30代も最後の1年に突入してゆく。いつまでもうだつが上がらない仕事では、これまで付箋をつけた紙をどれほどゴミ箱へ捨ててきたか知れない。叔母が亡くなったことさえ遠縁から伝えられるまで何か月も知らないような生活だが、たとえ滲んでいても、少しでも色を足していけたらと思う。