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オシムへの言葉 Footballがライフワーク Vol.17

何かしら節目のたびベストイレブンを選出したくなるのも、フットボール好きの習い性だろうか。およそ9年前、10歳から始まった観戦歴が20年に達したことを記念したベストイレブンでは、ジネディーヌ・ジダンやデニス・ベルカンプ、小野伸二をはじめとする選手に加え、2人の指導者を選出していた。監督に選んだのはクラブと代表の双方で実績を残してきたフース・ヒディンクだが、どうしても選びたかった人のため、もう一つの部門を用意することに。総監督として選んだのが、イビチャ・オシムだった。

日本代表にとっていまも悔やまれるのは、オシム監督時代が完成を見なかったことだ。2006年、中田英寿や中村俊輔など歴代屈指のタレントを揃えながらドイツワールドカップで一敗地に塗れた日本の再生を託された当時、やっと世界水準の指揮官を迎えられたことで、チームの強化にとどまらず、国民のフットボールへの理解をも高めてくれそうな期待に胸を膨らませた。前任者が唱えた「自由」の美名のもと、世代交代や戦術の確立など山積みになった課題と向き合い、千葉で鍛え上げたチルドレンを各所に登用しつつ改革をはかっていた。発展途上のチームは翌年のアジアカップで3連覇を逃し、ほどなくオシムは病に倒れた。綿密かつ長期的な強化を完成させるには、1年あまりの在任期間はあまりにも短かった。代表にとって不運な出来事がもう一つ。ワールドカップでの経験を持たなかったアルベルト・ザッケローニ監督時代の反省を踏まえて招聘されながら、訴訟問題により短期間で訣別した監督もいた。オシムの訃報を最初に目にしたのが、そのハビエル・アギーレが率いるマジョルカ戦の冒頭だったことも、不思議な巡り合わせに思えた。

わが国のフットボールについて物足りないのは、この競技を的確に言語化し、雄弁に語ってくれる存在がどうも乏しいことだが、オシムは語り部としても稀有な存在だった。ライオンに追われるウサギに例え、選手の準備不足による負傷に苦言を呈した話はよく引用されるが、絶妙にして含蓄に富んだ言葉は、フットボールの枠を超える影響力を宿していた。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」とは、野球界の名将・野村克也が座右の銘とした後藤新平の名言だという。旧ユーゴスラビア時代の愛弟子ドラガン・ストイコビッチやシュトゥルム・グラーツ時代の右腕ミハイロ・ペトロビッチ、本人のみならず遺した人も日本に貢献したオシムの功績は、まさに「上」と呼ぶに値する。

1990年代の初め、祖国の内戦によって国際舞台から締め出された時代は苦い経験に違いない。1992年のユーロは、代替出場のデンマークが優勝。前出のストイコビッチら黄金期のメンバーが全盛に差し掛かった時代、出場が叶えばどうなっていたか。戦争が人生に及ぼす悪影響を、身を以て知っているからだろう。フットボールを戦争に例えるような慣習に対しては、強い反感を示したという。日本代表戦などの場合、対戦する選手たちは"敵"と呼ばれることもあるが、フットボールをあくまで平和の象徴とする考えへの共感と敬意を込め、私はこれからも「相手」と呼びたい。良い言葉を残してきた人には、良い言葉が贈られるのだろうか。オシムが道半ばで日本代表監督の任から降りることになったとき、「サッカーマガジン」が表紙に掲げたコピーは秀逸だった。「オシム監督、また一緒にサッカーの話をしましょう」―もうその話が聞けないと思うと、残念でならない。またいつか節目のベストイレブンを選出したくなっても、総監督に選ぶ人は変わっていないだろう。オシムさん、どうぞ安らかに。

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