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運動神経が悪くても五輪は観る 運動神経が悪いということ Vol.8
3位が陸上、2位が競泳、さて、栄えある1位は。J-CASTニュースが東京五輪で「観たい」と思う競技を聞いた読者アンケートの結果、圧倒的な1位は「観たい競技は無い」だったそうだ。わが国の知識人・文化人と呼ばれる方々の多くは、まるで示し合わせたかのように、五輪に否定的な見解を示してきた。1年遅れで開催に漕ぎ着けたスポーツの祭典は、かつてない逆境に立たされ、冷ややかな眼差しに晒されることとなった。
たまに肯定的な批評に出くわしたと思えば、おおよそ「パヨク」への罵倒や政権への擁護と結びつけた論調だった。政治と五輪、延いてはスポーツ。関係する一面は否定できないにしても、本来は分離されるべき両者を混ぜこぜにした視点には、的外れの印象を禁じ得ない。
首を傾げてしまうものが大半のなか、こればかりは同感だったのが、森達也氏の意見。前回1964年の開催時はマラソンのアベベ・ビキラや柔道のアントン・ヘーシンクが脚光を浴びたのに比べ、今大会は国外の選手がほとんど注目されていないのは、国民の関心が「内向き」になっているためだという。それはテレビ視聴率の推移にも反映されていて、日本人が勝ちそうか負けそうか、旗色によって乱高下するらしい。
五輪の根源的な意義はきっと、メダルの数でも勝敗でもなく、国籍や人種やイデオロギー、いろいろな違いを抱えた人びとがスポーツを介して融和する様子そのものだろう。それが現在のわが国では時として、政権への支持か不支持か、右か左か、などと一国の民を分断する指標と化している。私たちの五輪との「向き合い方」についていろいろ考えさせられたこの2週間あまり、疑問や違和感を覚えた動向は、思えば概して内向きだった。