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運動神経が悪い人生 運動神経が悪いということ Vol.1

近頃は階段の上り降りも覚束ない。数学はまるで苦手だし、手先はひどく不器用で、欠点を挙げれば枚挙に暇が無いのだが、いの一番に思い浮かぶのは運動神経が悪いということだ。体育の授業はいつも苦痛で、多くの男子が嬉々とする陰でうつむいていた時間が、自分が人と違うこと、世の中の多数派でないことを思い知る最初の体験だった。

逆上がりができず、プールの底に撒かれたおはじきを拾わされ、ドッジボールをすれば決まって標的になった。運動のたび醜態を晒す子だった私は、休み時間も放課後も自ずと内向的になり、スクールカーストの下層に沈むのは必然だった。

仕事や私生活で生きづらさを味わうたび、私は子どもの頃の苦い経験を繰り返し思い出す。人間関係が煩わしく、自己肯定感が低い。年来の問題を乗り越えられずにきたせいで、スクールカーストにおける地位は、30代も後半に差し掛かった現在まで、何ら変わっていない。

仕事が出来る周囲の人々には、むかしクラスの中心にいた子たちの姿がよく重なる。授業中は退屈そうでも、体育や休み時間になると活気を帯びる子どものほうが、大人になってから成功しやすいのではないだろうか。三つ子の魂百までとは、言い得て妙である。

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