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クラブワールドカップと思い出 1996 ユーベVSリーベル Footballがライフワーク Vol.2

サッカー、もといフットボールのファンであれば、誰しも記憶に刻まれたゲームがあるものだろう。10歳で迎えたJリーグの誕生以来、四半世紀を経過した観戦歴のなかで、私のベストゲームは1996年の12月、ユベントスとリバープレートの対戦である。現在のクラブワールドカップへ移行する2004年以前、欧州と南米の代表による日本での一発勝負はトヨタカップと通称された。現在も保存するVHSのテープを、かくも繰り返し再生したゲームは他に無い。

ワールドサッカーダイジェストに、今は無きワールドサッカーグラフィック。中学1年の私は、読み始めたばかりの海外情報誌で「予習」に励んだ。リーベルにはファン・パブロ・ソリンやフリオ・クルスなど、後に欧州で足跡を残す逸材や、若きアリエル・オルテガがいた。対するユーベはチーロ・フェラーラがバックラインを束ね、ジャンルカ・ペッソットやアンジェロ・ディ・リービオなどのいぶし銀が渋く働きながら、新たなバンディエラとして進境著しかったアレッサンドロ・デル・ピエロが決勝点を決めて1-0で勝利した。

最少得点によるシンプルな顛末のせいか、現在に至るまでメディアでこのゲームがフィーチャーされたのは見聞きしたことがない。それでも、アレン・ボクシッチの豪快なドリブルやオルテガのシュートがクロスバーをつたう場面など得点シーン以外の醍醐味が凝縮されていて、それはフットボールの本質的な魅力にそのまま通ずるものだろう。ジネディーヌ・ジダンを初めて目撃し、そのジダンが長男の名に授けるほど憧れた、プリンシペことエンツォ・フランチェスコリと対峙していた点でも忘れ難い。私が海外のフットボールに目覚めるきっかけは、間違いなくこのゲームだった。

今年も、クラブワールドカップが2ヶ月あまり遅れて何とか開催に漕ぎ着けた。オセアニア代表こそ出場を辞退したが、「欧州対南米」の予定調和を覆した大会は、北中米代表として初めて決勝へ進出したティグレスにバイエルンが貫禄勝ちしてシーズン6冠の偉業を成し遂げた。世界の各大陸で選手権が開催され、王者たちが一戦を交える舞台。回を重ね期待以上の好勝負を紡ぎ出すにつれて、フットボールの「広くて近い」世界を象徴する大会として定着してきた感がある。思い入れが強いのは、その背景に色褪せない記憶が宿っているからに違いない。

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