100回の節目に選手権を見直す Footballがライフワーク Vol.13
100回の節目を迎えた高校選手権は、ときおり独自の流行や話題を発信してきたが、今年のそれは海外にも波及した。山口県代表の高川学園が披露したサインプレー。プレースキックのターゲットとなる選手が手を繋いで回転しながらマークを撹乱する動きを、スペインのメディアはトルメンタ(嵐)と表現した。フィンランドからは同国のフットサルのチームに前例があったと伝えられたそうだが、30年近くなった観戦キャリアのなかでも、こんなプレーは記憶にない。1年前を思い起こすと、決勝でPK戦にまでもつれる接戦を演じたのは山梨学院と青森山田。フリーキックとコーナーキックに加え、ロングスローという得点に直結する第3のセットプレーを会得したチーム同士だった。以前は、PKストップの得意なゴールキーパーを途中投入し、決勝点を奪うよりPK戦に重きを置いたような采配が続出したこともあった。選手権という舞台には、どうも独特な現象が起こるガラパゴスのような素地があるようだ。
フットボール観戦をライフワークとしてきた私も、対象が「高校サッカー」となると、少なからず熱量が下がる。例えば、かつての開会式での行進。整列もそこそこに無造作に歩くチームも目につき、よく言えば自由で開放的なのだろうが、同じ高校生のスポーツでも野球に代表される厳かな大会を見慣れてきた国民にはどう映るのか、心配が先に立った。多分に、旧来の厳格さを反面教師としてきた指導者の意向が反映されていると想像するが、その風土はフットボールへの偏見を生み出す温床にもなり得るという印象を拭えずにきた。
もう一つ、「高校サッカー」に関する後ろ向きな印象は、選手権で実績を残してきた名高い学校の輩出した人材が、思いのほか大成していないことだ。国見や市船こと市立船橋は、プロ入りした卒業生こそ数多いが、そのうち日本代表や欧州主要リーグの舞台でも活躍した選手となると、かろうじて該当するのは大久保嘉人くらいではないか。オランダでプロデビューした平山相太やJリーグで新人王を獲得したカレン・ロバートにしても、高校時代の輝きを思えば、期待には遠く及ばなかったと言わざるを得ない。名門校から巣立った選手の多くが、ハードトレーニングの賜物で若くして完成された反面、伸びしろが残っていなかったことは、わが国のフットボールにとって悲しい事実だと思う。
いわゆるネガティブ・トランジション、失ったボールを奪い返す速さと圧力が際立ち、勝利への執念はプロ顔負け。トルメンタの高川学園も、快進撃の大津も太刀打ちできなかった。優勝は3年ぶりでも、間の2年も準優勝、4年連続で決勝に進出した青森山田は、選手権の覇者としての地位を確立した。大会期間中には、かつて国見を同等の地位に導いた長崎総科大附属の小嶺忠敏総監督が急逝。昨年、久々に見た表情はかつてのふくよかさが見る影もなく、チームに帯同できない状態と聞いて心配していたが、節目を見届け満足されたかのようにも思える。前言を翻すようだが、遠征のため自費で買ったマイクロバスを自ら運転し、闘病の身にあっても最期まで現場での指導を貫いた情熱には敬服する。今や日本代表もユース出身選手が主体となり、育成やレベルの面では相対的に存在感が低下してきた「高校サッカー」。しかしながら、昨今のフットボールに乏しくなった要素、話題性にかけてはまだまだ「老舗」の強みを示してくれた。惜しくもベスト8止まりだったとはいえ、静岡学園の古川陽介という近年稀に見るファンタジスタの発見もあった。だてに100回は数えられないということか、今大会は選手権・高体連を見直す好機になった。
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