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「史上最強」でも塗り替えられなかった歴史  Football がライフワーク Vol.8

「世界最大のスポーツイベント」といえば、国によってはFIFAワールドカップのための称号だが、わが国に関してはきっと、五輪だと認識している人のほうが多数派だろう。そうした背景があってのことか、日本サッカー界の「金字塔」とは、1999年のワールドユース準優勝ではなく、まして3度のワールドカップベスト16でもなく、いつまでも1968年、メキシコ五輪の銅メダルのままできた。先の東京五輪に臨んだ森保監督がその時以来のメダル、それも金メダルの獲得を目指すと公言したのも、五輪を重んじてきた国民感情を汲んでのことだったはずだ。

「史上最強」、東京五輪を戦ったU-24日本代表には、いつしか誉れ高い代名詞が与えられるようになった。専守防衛に徹した南アフリカ、結果的に銅メダルを獲得したメキシコ、フルメンバーを揃えられなかったとはいえ大国フランス、死のグループとも評されたグループリーグを3連勝で突破したことは称えたいが、個人的にはずっと違和感を拭えなかった。「根拠」としてたびたび紹介されたのは欧州でプレーする選手、いわゆる海外組の数の多さだが、若くして進出しやすくなったのも、力量というよりは環境の進歩に負うものと見るのが妥当だろう。昨年1月、出場が確定したなかテンションを高めるのが難しい状況を差し引いてもアジア選手権で敗退し、テストマッチで対峙した先輩のフル代表には軽くひねられたチームの呼び名としては、やはり過言だったように思う。

延長突入、このタイミングで二枚看板を同時に降ろしたことが仇にならないか。悪い予感にかぎって、願いどおりに外れてはくれない。ボールホルダーへの徹底したプレッシャー、およそ倍の数を浴びたシュートへの身を挺した反応。ユーロから馳せ参じたフル代表メンバーが6人、今大会でもっとも充実したタレントを揃えたであろうスペインを最少失点に抑えた守備組織は、完璧に近かった。果敢に仕掛けた三好康児、フォアチェックに奔走した前田大然、途中出場した両者も精一杯に奮闘したが、左足の一撃で試合を決めたマルコ・アセンシオのような芸当をより期待できたのは、彼らと交代した久保建英と堂安律の2人だったのではないか。PKにもつれたニュージーランド戦と併せ、決勝トーナメント以降は2試合連続無得点。失速したチームは立て直せず、3位決定戦でメキシコを再び破る余力も無く、宿願のメダルには届かなかった。

釜本邦茂を擁し、開催国メキシコを破りアウェーの地で首にかけた唯一無二のメダル。半世紀以上が経過したというのに、またしても歴史を塗り替えることはできなかった。「商業化」とも換言される五輪へのプロ参加が本格化する以前、現在と単純比較できない時代の記録はもういい加減、引き合いに出さず「封印」してもよいのではないか。そんな私的な願望も、9年前のロンドン五輪のデジャブによって叶わなかった。グループリーグ3試合で7得点から一転、決勝トーナメント3試合で1得点の尻すぼみは、調整や用兵の失敗と言わざるを得ない。ただ、まずは序盤に照準を定めるしかないのが、世界の舞台では第一関門突破の当落線上にある日本の現状だろう。一部メディアは、「史上最強」の名折れだと評していたが、そんな呼び名は現場でもファンでもなく「メディア発の自称」と言うべきで、勝手に持ち上げては無責任に蹴落とす悪しき慣習こそ、もういい加減に断ち切ってもらいたいものだ。

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