見出し画像

どんなときも。 第3のリベロ Vol.9

何かとスマホで事足りる時代になっても、私が音楽を聴くツールはiPodで、収録曲の数で抜きん出た人がいる。金子達仁や宮本輝、是枝裕和に野木亜紀子など、敬愛するクリエイターたちのなかでも、その人は間違いなく最上位に入る存在だ。小学生の頃は代表曲しか知らなかったが、アルバムを聴き始めた中学生以来、悲哀を情愛で包み込むようなそのオリジナル曲の数々に魅せられた。カバーアルバムを聴いても、心底から音楽が好きなことが伝わった。20年ほど前に過ちを犯すが、活動再開後に発表したアルバムの表題曲では自らと重ねるように太陽の昇るさまを歌い、数年後には国民的アイドルグループを介して「誰にも愛される曲を残したい」と著書で語っていた夢を実現し、華々しい復活を遂げてくれた。初めてその姿を拝むことができたのは、2017年のクリスマス時分の地元。富山の氷見から移送されたあすなろの木が「世界一のツリー」となってそびえるメリケンパークで開催されたミニライブ、無料で過ごしてしまった感激のひとときは、いまこのマガジンのカバー写真になっている。国民的アーティストとして確固たる地位を築いてからというもの、かつての罪は清算してくれたと信じていた。それなのに―。昨年、まさかもう一度、槇原敬之の名が容疑者として報じられる日を迎えようとは思いもよらなかった。

本来なら、昨年はデビュー30周年の記念アルバムが発売予定だった。女性誌が企画したのは、ファン684人が選んだベスト10。眺めてみると、「Best11 of Macky」と題したわがiPodのプレイリストに含まれるのは、「どんなときも」「PENGUIN」「THE END OF THE WORLD」「Such a lovely place」の4曲。高校時代、オリジナルのベスト盤を作るつもりで懐かしのMDに録音した曲を含めれば、「No.1」「MILK」「LOVE LETTER」も選ばれていた。「君に会いにいく」の、いつも眠ってしまう僕に夕焼けを教えてくれた君。「北風」の、斜め40度から見た横顔しか知らない君に雪が降り始めたのを教えたいと想う僕。槇原の曲の登場人物は総じて奥ゆかしく、描かれる恋模様には距離があるのだが、それだけに唯一無二の温もりをもってリスナーに伝わるのだと思う。その新曲と新しいメッセージに耳を傾けられる日に想いを馳せていると、シャッフル再生したiPodから「僕が一番欲しかったもの」が流れてきた。

無理からぬこととはいえ、槇原には次々と社会の制裁が下った。容疑者の汚名をかぶった途端、記念アルバムの発売も、テレビ番組のテーマソングの使用も、中止や自粛が早々に決定。コンプライアンスという大義のもと、異論の余地も与えない空気感は、稀代のアーティストの名を粛々と世の中から葬り去っていった。ところが政界に目を転じれば、現在の政権与党は何があっても安泰らしい。度重なる疑惑や目に余る振る舞いによって支持率が下がるのも一過性、たとえ首相個人から民意は離れても、「他に選択肢が無い」という思考停止も手伝って、政権交代の機運は一向に高まらない。才気溢れるアーティストには不寛容なのに、驕れる為政者たちには寛容な世の中は、ひどく矛盾しているように見える。しかし、ある点では冷酷なまでに一貫しているのかもしれない。罪を犯した人を表舞台から閉め出すのは、スポンサーが許さないから。粗暴な政権でも交代を望まないのは、上辺の景気は持ち堪えているから。この世の中、評価の軸は、善悪よりもどうやら利害にあるらしい。利益さえ生み出せば悪しきものも見過ごされ、不利益をもたらすようになれば善きものでも切り捨てられる。そんなことがまかり通って、いいのだろうか。

若い頃はわからなくても、歳を重ねるにつれ意味がわかってくることがあるもので、私の場合は「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もその一つだ。このほど槇原の活動再開が発表され、執行猶予期間中の早期の復帰には厳しい意見も聞かれる。再犯からの出直しともなれば風当たりは強く、離れていく人も多かろうとは思う。しかし、罪を犯した人間が永遠に抹消され、再起できない社会が健全とも思えない。しがない自分の人生の時々で、生み出してくれたいくつもの名曲が希望となった恩がある以上、この人のことは憎まずにいたいし、期待し続けたいのだ。



いいなと思ったら応援しよう!