スーパーリーグの激震 Footballがライフワーク Vol.5
世界各国の選手とチームが、さまざまなコンペティションで相まみえる。国境も大陸も超えた対戦が、思いがけず名勝負を生み、時としてアップセット、ジャイアント・キリングが実現する。それは、フットボールの誇るべき醍醐味だ。1996年、アトランタ五輪で日本がブラジルから大金星を収めたマイアミの奇跡は、相手にリバウドやロベルト・カルロスなど一線級の選手が名を連ねていたから、なおのこと価値がある。20年後、クラブワールドカップで鹿島がレアル・マドリーを相手に延長までもつれ込んだ激闘も、Jリーグを代表するイレブンが、クリスティアーノ・ロナウドをはじめベストメンバーを揃えた世界最大の名門と公式戦で対峙したからこそ、感動的だったのだ。
ワールドカップやチャンピオンズリーグ、フットボールのビッグイベントは、控えめに言っても、よくできていると思う。他の競技に目を転じれば、WBCへのメジャーリーガーの派遣は進まず、UFCのトップランカーがRIZINに参戦することはなく、ボクシングは団体が乱立する。契約の縛りや利害に阻まれ、同じ競技でありながら実現しない対戦、叶わない交流はあちこちに散見している。あらゆる選手に出場の門戸が開かれたイベントがあり、時ごとに組み合わせが変わることで新鮮味も保たれる。ともすると当たり前に見えてしまうフットボールの日常は、他所では夢物語かもしれない。それらは、FIFAに代表される機構の統治機能が世界中に行き届き、権力の対立や分断を抑止してきたことで構築されたフットボールの財産だろう。
先般、その財産を揺るがす激震に見舞われた。欧州のビッグクラブが連帯してスーパーリーグ(ESL)を創設するという構想。56時間、その発表から瓦解に至るまでに費やされた時間は、丸2日と8時間だったという。刻一刻と変化する情報を追うあいだ、悪夢にうなされたような心境だった。ショックはいまだ尾を引いて、以後に観戦した欧州のゲームはどこか身が入らないような感覚を拭い去れない。今季のチャンピオンズリーグも残すはファイナル。トーマス・トゥヘル監督の就任で好転したチェルシーと、念願の決勝進出を果たしたマンチェスター・シティのプレミアリーグ決戦となった。スーパーリーグが実を結んでいれば、この両雄と3連覇以来の優勝を逃したレアル・マドリーを併せ、今季ベスト4のうち3チームがUEFAの制裁によりこの大会から締め出されるところだった。
もしもスーパーリーグがまかり通ったなら、フットボールの世界はたちどころに秩序を失っていたことだろう。スーパーリーグと「それ以外」に二極化され、スター選手不在のワールドカップ、ビッグクラブなきチャンピオンズリーグが、きっと現実のものになっていた。伝統の空洞化、非日常のマンネリ化、恐るべき事態が芋蔓式に発生していく未来はひとまず回避できたとはいえ、決して予断を許さない。マンチェスター・ユナイテッドのサポーターはスーパーリーグ構想を主導したオーナーに抗議行動を起こし、伝統のリバプール戦が中止に至った。フロレンティーノ・ペレス会長がスーパーリーグの初代会長に就任する予定だったレアル・マドリーには、チャンピオンズリーグの出場停止を含めた処分が検討されている。燻る火種は、どうか対話で鎮めてもらえないものだろうか。築き上げた財産を、自ら手放す愚は避けてほしい。